<4.閑話>
ゾディアーク消滅後における月の役割。それは来る終末への備えに他ならなかった。可能な限りの生命をアーテリスから運び出す方舟。それこそが、夜空に浮かんでいた月の正体だ。
まず第一に、終末の回避は不可能である。レポリット達はそう明言して、速やかに月へ逃げて欲しいと懇願した。ヒトがアーテリスを捨て月に住むための準備はしてきた、足りない部分はいくらでも直す、だからどうか避難をと、真剣な丸い瞳がスフェン達を射抜く。
だが、彼らはそれに「否」と唱えた。アーテリスも、それに連なる鏡像世界も。何一つ犠牲にはしたくない。滅びの前に、まだやれる事がある。そう言って暁の血盟やスフェン達は、最後まで足掻くのだとレポリットに告げた。
ウリエンジェが月に残り、万が一に備えてアーテリス脱出計画を進めておくのと並行して、スフェン達は地上へ戻り、僅かな手がかりを頼りに新たな打開策を探ることとなった。
半身のゾディアークと融合したアモンを打ち倒したばかりだというのに、次なる脅威は彼らを待ってはくれない。こうしている間にも、厄災の兆しが各地に現れているかもしれないと考えると、逸る気持ちばかりが募る。
しかし、大事の前にはしばしの休息が必要だとリビングウェイに促され、スフェン達は体を休めるため、レポリット達の歓待を受けベストウェイ・バローでお茶を飲んでいた。
いや、便宜上お茶と表現したものの、正しくは形容し難い不思議な色合いの茶葉から煮出した液体である。幸い、ほんのりと甘いフレーバーが独特ではあったが、飲料として摂取できる範疇であった。
「さあさ、遠慮なく飲んでください!地上のヒトは一息つきたい際に「お茶」を飲むとありましたからね。キャロットの栽培と並行して茶葉を作ってみました!」
自信満々のリラキシングウェイに苦笑いして、SNの面々はもう一度急拵えでサイズ調整されたカップに口をつけた。やはり馴染みのない甘さが鼻を抜けていく。ニンジン味ではなくてよかった、と前向きに捉えることにした。
そうしてしばらく各々で自由に休憩していると、外へと繋がる大扉に向かって歩くスフェンの姿をハンナは見つけた。
「すーさん……?」
キョロリと周りを見渡す。ヴァリはちょうどメカニックのレポリットと話し込んでいる。エドヴァルド、ソバ、ウナギ、ミナミ、ロマリリス、みんな談笑したりベストウェイ・バローの中を散策したりして、スフェンの外出に気付いている様子はなかった。
「……」
どうしようかと一瞬考えて、ハンナは立ち上がった。月面へと出る扉の向こうに消えるスフェンの背中を追って、一人階段を駆け上がって行く。
*
足音さえも宇宙の暗闇に吸い込まれてしまうのではないかと思うほど、月面は静寂に包まれている。白い砂岩のような地面と、内部から噴き出すエーテルの残滓、遠くに大きく見える青いアーテリス。人工的な建造物は監視者の塔とベストウェイ・バローのみ。緑豊かなエオルゼアと比べてしまうと、嘆きの海の景色は随分と寂しいものだ。
「すーさんどっち行ったかな……?」
小高い場所から辺りを見渡すと、スフェンの姿はすぐに見つかった。アーテリスがよく見える丘の上でレポリットと話をしているようだ。
黙って後をつけるような真似をしてしまったため、出て行きづらいなと思いながら、ハンナはゆっくりと彼らに近づいていく。しかし、二人は何やら話し込んでいる様子だったので、キリの良いタイミングで声をかけようと待つことにした。
ちょうど大きな窪みがあったので、姿を隠すようにその中へ座り込んだ。長い足を折って膝を抱えると、風もない静かな空間にスフェンとレポリットの話し声が聞こえてくる。
「だからね、月面全てに空気があるわけではないんだ。嘆きの海のような、ヒトの居住地として選ばれたいくつかの「海」でしか僕らも活動できないんだよ」
レポリットは身振り手振りで一生懸命月の地表について説明をしている。やや興奮したトーンで話しているのは、スフェンが初めて出会うヒトだからだろうか。
「あ、僕の名前はトラベリングウェイ。月面をパトロールしてあちこち見て回るのが仕事さ。毎日地表を歩き回ってるからね、月の上で知らない事はないよ!……まあ、行けるのは「海」だけなんだけどね」
少し落ち込んだように長い耳が垂れ下がる。しかし、しょげた空気を振り払うようにトラベリングウェイは顔を上げると、拳を握ってスフェンに問いかけた。
「そうだ、よかったらアーテリスの事を教えて!スフェンは冒険者なんでしょ?どんな場所を旅したの?」
「そうだな……」
スフェンはしばし考え込むと、段差になっている場所を探して座り込み、隣を示してトラベリングウェイを招く。知り合ったばかりの小さな探検家が座ったのを確認すると、今までの出来事を一つ一つ語り始めた。
冒険者としての旅立ち。暁の血盟との出会い。帝国との戦い。エオルゼアで繰り広げる冒険の数々。
「グリダニアでハンナとミナミに出会って、FCに人が増えてって……」
スフェンの話を聞いて、在りし日の記憶がハンナの中にも過る。初めて黒衣森で魔物と戦った事を、今でも鮮明に思い出せた。
「なるほど、そうやって旅の仲間が増えていったんだね!いいなあ、楽しそう。それでそれで、その後は?」
トラベリングウェイは瞳を輝かせて話の続きを強請った。
夕暮れの教皇庁を駆け上がって走った事、魔大陸での三闘神との対峙、見る物すべてが新しい東方での旅。
「クガネに初めて着いたときは面白かったな……エオルゼアと全然違う文化だったから、何でも珍しくて。でも……ふっ、一番面白かったのはソバだな。「チョコボがいない!代わりに大鷹がいる!」って血相変えて走ってきて……」
「チョコボ?チョコボって何?」
思い出し笑いをしながらスフェンがお馴染みの黄色い鳥について説明すると、トラベリングウェイは興味深そうに懐から取り出したメモに記していった。
その後も第一世界での光と闇の攻防や、再生したエデンの園、血風吹きすさぶ南方戦線での激突をスフェンは話して聞かせる。
その会話を聞いていたハンナの脳裏に、小さな明かりが灯るように旅の記憶が蘇った。最初は半ば旅行気分で始めた旅であったが、いつの間にかたくさんの思い出が彼女の中に積み重なっている事に気付く。
楽しかった事、悲しかった事、嬉しかった事、憤った事。まるで大長編の物語のように、色鮮やかな旅路が彼女の行く道を彩っている。
あの青く輝く星で、ハンナは仲間達と共にここまで旅をしてきたのだ。
(あれ……)
じんわりと、温かい雨が頬を濡らす。悲しくもないのに流れる涙に戸惑いながら、ハンナは頬を拭った。
「……スフェンは、楽しい冒険をしてきたんだね」
ひとしきり話を聞き終わると、トラベリングウェイが落ち着いた声色で告げる。
「大変な事もいっぱいあったけど、楽しかった……だよね?」
「……ああ、そうだな」
ハンナからスフェンの表情は見えないが、なんとなく優しい顔で微笑んでいるような気がした。
「……あの星が……あそこに住んでいる奴らが、すごく好きなんだ。悪人もいるけれど、それ以上に良い奴ばかりで。変なのもいるけど、憎めなくて面白くて……」
終末が迫るアーテリスを、スフェンは静かに見上げる。
「だから、諦めたくないんだ」
小さく、しかし確かな響きでスフェンはトラベリングウェイに答える。その一言に、彼の決意が込められていた。
静かな月面に、二人の声だけが溶けていく。ハンナは膝を抱えた両腕に力を込めて自分を抱き込み、その声にただ耳を傾けた。
「……僕もね、本当は月に逃げるんじゃなくて、アーテリスが助かるならそれが一番いいって思ってる。でも、ハイデリン様も僕らも、どうやったらそれができるのか分からなかったから……」
彼らの今できる最善策。それが月への移住計画だったとトラベリングウェイは語った。
「だからね、スフェン達がアーテリスを救う方法を探すって言ったとき、すごく嬉しかったんだ。実は僕、本当は月だけじゃなくて、いつかアーテリスの色んなところを旅してみたいって考えてたから……ほら、これ見て」
トラベリングウェイはメモをスフェンに見せた。もしかしたら、万に一つ訪れるかもしれない旅立ちのチャンスを待って、今日まで書き溜めたアーテリスの情報がぎっしり書かれている。
「協力者から教えてもらった情報をもとにこれだけ書いたけど、きっと実際にアーテリスに行ったらもっと知らない事だらけなんだろうなあ」
夢見るようにトラベリングウェイはアーテリスを眺める。次いで不安と期待が混ざった眼差しで、多くの道を歩んできた冒険者を見上げた。
「……ねえスフェン、僕も君みたいに旅できるかな?」
「……ああ、きっと叶う」
小さな子供に聞かせるように、スフェンの声は柔らかい。すると、寂寞とした月面に、明るいハミングが響き渡った。