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<7.Magnification(拡大検査)>


 意識がゆらゆらと揺れている。自分と周囲の境界が曖昧になる感覚の中、スフェンはゆっくりと瞼を押し上げた。目の前には秋の森が広がっている。柔らかな空気を含む午後の光が葉の隙間から降り注ぎ、スフェンや、彼と手を繋いで歩く母の横顔を照らしていた。柔らかな白い髪と、早咲きのウィスタリアのような瞳の色。ほんのりと下がった眦といい、スフェンは母にそっくりだった。
(あれ……何でここにいるんだっけ)
 朧げな意識が思考を絡め取ろうとするのを振り払って、混濁した記憶を少しずつ手繰り寄せる。
(確か……ウルティマ・トゥーレに……)
 アーテリスの命運を賭けた最後の戦い。ウルティマ・トゥーレでのメーティオンとの邂逅、終焉を謳うものとの激闘。そして、ゼノスと――。
 次第に明瞭になっていく頭で考えると、なおさら自分がここにいる理由が分からなかった。デュナミスの満ちるあの空間から無事に帰還できたのかとも思ったが、自分の随分小さな体がそれを否定する。手を引かれながら踏み出す一歩の幅は小さく、背も母の腰に届くかどうかという高さだ。
 これは夢か、幻か。どちらにせよ現実とは思えなかった。もしや死後の世界かとも一瞬考えたが、星海の内側がこのような世界だとはにわかに信じ難い。とすれば、やはりこれは夢か、若しくは走馬灯のようなものだろうか。
「もう少しで着くわよ。スフェンちゃん、疲れちゃった?」
「ううん。大丈夫」
 母に問われて自然と言葉が口をついて出た。そういえば、過去にこんな出来事があったかもしれない。妹達が生まれる前なので五歳か六歳くらいの頃、母と上の姉二人と一緒に秋の黒衣森を散策した遠い日の思い出が蘇る。
「すーちゃん、お姉ちゃんがおんぶしてあげようか?」
「アタシも!おんぶしてあげよっか?」
 おっとりした長姉と、ハキハキと話す次姉が代わるがわるスフェンに手を差し伸べた。
「いいよ、ちゃんと歩けるもん」
 意識は大人の自分であるのだが、体は自由に動かせず、まるで本当に幼い時分に戻ったような口調になってしまう。それを少し歯痒く思いながらも、母に手を引かれて色づく落ちた葉を踏みしめて進んだ。


 しばらくしてギラバニア方面が見渡せる丘の上に着くと、スフェン達はそこに布を敷いて遅めの昼食を広げた。この頃はまだ聳え立つバエサルの長城はなく、帝国軍の脅威も森の中には及んでいない。そのため、スフェン達は森境にも頻繁に出かけていた。平和で穏やかな時間を享受した最後の年だったのではないだろうかと思う。
「いいお天気。アーゼマ神のお恵みね」
 スフェンを膝に乗せ、秋晴れの空を見上げて母が呟いた。彼女は熱心ではないが敬虔な信徒であり、今でもよく日神の名を口にしている。
「ねえねえお母さん、アーゼマ様のお話して!」
 次姉が母の袖を引っ張って強請る。幼い頃、寝物語がわりに聞くアーゼマの逸話が彼女は好きだった。
「ふふ、良いわよ。じゃあ今日は、アーゼマ神がナルザル神と一緒に作った都の話をしましょうか」
 母は愛おしげに目を細めると、娘達を隣に座らせ、アーゼマが作った古の都について歌うように語り始めた。

 日神アーゼマは太陽の光を投げかけ、商神ナルザルはその力で煉瓦を焼き、鉱石から金属を溶かしだし、壮麗な都を築いた。いつしか、その都は七天のひとつ「炎天」と呼ばれるようになった。炎天には正義を成した者、公正なる裁きを降した者、正直なる商人、利益を投じて慈善を成した者などが、死後招かれて暮らす。
 都を造る過程で生じた廃材は、暗き底に投げ捨てられ、火にくべられた結果、「炎獄」ができた。炎獄には、無実の罪で人を裁いた者、暴利をむさぼった商人、賄賂を受け取り不正を成した者などが、死後堕とされて苦しむ。

「ごめんね、今日のお話は皆にはまだちょっと難しかったかも」
 母が言う通り、子供に対して話すには複雑な内容だろう。現に次姉は疑問符を頭の上に浮かべて、何とも言えない顔をしている。
「「えんごく」が怖いところなのは分かった……」
 一方、年長の長姉は話について大まかに分かっているようで、くすくす笑いながら家で焼いてきたパイを等分に切り分けて皆の前に置いた。
「皆がいつも良い子にしていたらいつか炎天に住めるってことよ。はい、すーちゃんの分」
「ありがとう」
 受け取ったパイは姉達のものより少しだけ大きかった。何かにつけて、スフェンは男の子なのだからたくさん食べてと寄越してくる姉のことだ。きっと気を利かせたつもりなのだろう。
「炎天に住めたら、家族皆でずっと一緒に暮らせるってこと?」
 また勝手に口がすらすらと動く。話しているのはスフェン自身だったが、どこか演劇を見ているような感覚だ。
「ええ、そうね。スフェンちゃんがいつも平等で、正義の心を持っていたら、炎天で暮らせると思うわ。お母さんも一緒に暮らせるよう頑張らなきゃ」
「母さん絶対いてよ?姉さんもだよ?」
「すーちゃん寂しがりやね。大丈夫よ、お姉ちゃん達だって良い子だもん!」
「そうよ。皆一緒だわ」
 幼いスフェンにとって家族は世界そのもので、愛する彼らと離ればなれにならず健やかに暮らせるかどうかは、常に気にかかる事項であった。「死後」というものはまだイメージできていなかったが、母の話は漠然とずっと未来でも家族と同じ場所にいられるかもしれないと理解している。
 スフェンは一度情を持って愛した他人に対する愛着がとりわけ強かった。自分が愛した分だけ、周囲も自分を愛してくれる環境で育ったからかもしれない。その中でも、家族は特別な存在だった。だから聞かずにはいられなかったのだ。本物の兄のように慕う彼も、ずっと一緒にいられるのか。
「母さん、■■■兄さんも一緒だよね?」
 しかしその名を口にした瞬間、空間の何もかもが凍てついたように停止した。寸前まで優しい微笑みを浮かべていた母の顔からは笑みが消え、姉達は押し黙り、吹いていた心地よい風さえ止んでいる。途端にスフェンは恐ろしくなった。これは過去の記憶にない。
「か、母さん……?」
 恐々と話しかけると、母はスフェンを膝から下ろして、冷たい声で告げた。
「■■■はいないわ。あの子のしたことを忘れてしまったの?」
 すると、徐々に母の姿が蜃気楼のように歪んで変わっていく。白い髪は朱色の長い髪に、下がった眦は超然とした眼差しに。片手には扇を持ち、ちろちろと火の粉が周囲には舞う。それは伝え聞いた日神の姿そのものだった。彼女の背負う日輪はどんどん輝きを増し、辺りがいっそ白く見えるほどの光で辺りを照らし出す。アーゼマはふわりと宙に浮くと、地べたに座るスフェンを見下ろして淡々と言の葉を紡いだ。
「あの人の子は裁かれた」
「えっ……」
「その行いは正義に反するもの。もって、我が炎天に招くこと能わず」
 アーゼマが手を掲げると、激しく燃え盛る炎が現れ、その中に■■■の姿が見えた。だが、すぐさま焔に飲み込まれスフェンの前から消えてしまう。
「あっ、待って……!」
 手を突いて立ち上がろうとしたが、突然地面が溶けるように沈み込み、手足の自由が奪われる。いつの間にか姉達も消えており、小さなスフェンただ一人が秋の丘に取り残されていた。溺れるように落ちていく体に焦ってもがくが、暴れるほど沈んでいくようだ。とうとう首まで地面に吸い込まれたあとは、あっという間に地の底へと引きずり込まれた。


 二度目の目覚めは、真っ赤な夕焼けに染まる森の中だった。立ち並ぶ木々の向こうから西日が差し込み、その光を目指すように木立の間をすり抜けると、開けた草地に出ることができる。平らな草地からは、目を刺すような夕陽が一望できた。どくり、と心臓が嫌な音を立てる。スフェンはこの景色に見覚えがあった。
 少し汗ばむような陽気で、通気性の良い綿のシャツの下で肌が湿り気を帯びている。夏も終わりに差し掛かっているのか、熱い時期に盛りを迎えていた白いクチナシの花が枯れており、どこか物悲しい雰囲気だった。まだ微かに、甘い花の芳香が残っている。
 ここには■■■に連れられてよく来ていた。彼は狩りのコツや、傷によく効く薬草の種類、森の歩き方、獣の習性などを年少のスフェンに教えてくれる、兄のような、または父のような存在だ。村の中しか知らない少年にとって、彼は何でも知っている憧れのヒーローだった。スフェンが冒険者になったのも、きっかけは彼が外の世界の話をしてくれたのが始まりだ。
 同じ村の中で、自分と同じ数少ない男子だったせいもあって、スフェンは小さい頃から■■■によく懐いていた。どこへ行くにもついて行きたがったし、何でも真似したくて、出来もしないことをやろうと無茶をして怒られもしたか。それでも最終的には仕方がないなと言って可愛がってくれた。一回り大きな掌で頭を撫でられると、スフェンは嬉しくていつもニコニコしていた。
(あれ、体が……)
 立ってみると先程よりも目線が高い位置にあるなと思ったら、体つきからして十五、六歳くらいまで成長していた。背はすらりと伸びてだいぶ現在の身長に近しいが、それでも大人の自分に比べたら頼りない手足だ。
(何でここに……?)
 母は、アーゼマはどうなったのか。そもそも、場面の一貫性がなくありえない事象の連続なので、やはりこれは夢なのではないか。
(夢……俺はなんで夢なんて……)
 未だ前後の記憶がはっきりとしない。ただ、次第にスフェンの中で不安感が大きくなっていく。どうしてか、早く目覚めなければいけない気がした。
 さくり、と草を踏みしめる音がしたので、考え込んでいたスフェンは慌てて顔を上げる。すると、逆光の中誰かが立っているのに気が付いた。――■■■だ。夕陽の強い光を背にしているため顔がよく見えないが、髪色やシルエットから彼だと分かった。
「■■■っ!」
 また勝手に口が動く。その名を口にしても今度は世界が止まりはしなかったが、呼びかけられた彼は微動だにしなかった。聞こえない距離でもないはずだが、と首を傾げて、スフェンはもう一度呼びかける。そういえば、ちょうど思春期を迎えた年頃だったので、兄と呼ぶのを徐々に躊躇い始めたのもこの時期だった。
 しかし■■■はこちらに見向きもしない。それどころか、スフェンに背を向けると夕陽の赤い光を目指して歩いて行こうとする。追いかけようとするが、何故か体が痛くて走れない。その間にも彼はどんどん遠ざかり、スフェンを置いてゆく。
「■■■……!待って!」
 声を震わせて呼ぶが、彼は振り返らない。その時、唐突に思い出した。ああそうだ、自分はここで、彼の内面に隠れていた激情に触れた。
 途端に嫌な汗が噴き出す。頭を撫でてくれた大きな手が肌の上を這う感覚と、驚きに止まってしまった思考、感じた類のない痛み。そして何より、彼が何を思い、何を考えているのかまったく分からなかったことが怖かった。歪に引き結ばれた唇と、酷い行いをしているのは自分のくせに泣き出しそうな目を見て、そこに強い想いがあるのは察せられたが、その根源にある感情が汲み取れない。そう、今を持ってしても、あの時の彼が凶行に及んだ理由をスフェンはまるで理解できずにいた。
 憧れが目を曇らせているのも原因の一つかもしれない。だがそれ以前に、■■■の心を理解するには、スフェンは「濁り」がなさすぎた。彼には、強い光に立ち竦む人間の気持ちが分からないのだ。
「行かないで……」
 小さくなってゆく背中に手を伸ばすも、虚しく空をかく指先は何も掴むことができない。けれど現実では、彼が村を去る姿を見ることすら叶わなかった。次の日には、村に彼の姿はなかったのだ。
 確かにスフェンは手ひどく傷つけられた。体と心、その両方を。しかしそれでも相手を憎みきれなかった。許せないという気持ちはもちろんあったが、それ以上に喪失の痛みは大きな傷となって彼の中に残り続けている。友人として、兄のような、そして父のような存在として、家族として、まだ愛していたから。一度大切に育んだ愛情を、スフェンは簡単に捨てることができなかった。
 いつしかその後ろ姿が完全に夕陽の中へ溶けて消える。よたよたと歩いていたスフェンは、力なくその場に崩れ落ちた。何が悪かったのかも分からないまま、そこには深い悲しみだけが残っている。

 もし小さな何かが違ったら、スフェンの進む道はこの時に分かたれていたかもしれない。広い世界を知らず、誰に出会うこともなく、傷を抱えて蹲ったままだった可能性もあった。
 それでもスフェンが冒険者になったのは、皮肉にも■■■がもたらした外の世界への情熱があったからに他ならない。大海に浮かぶ島々を、砂漠に埋もれる遺跡を、色彩豊かな異国の街を、その目で見て、聞いて、感じたかった。出会う人々の顔を想像し、めくるめく冒険の日々を思えば足を止めてはいられない。だからこそ、彼はまだ見ぬ誰かに出会う旅に出たのだ。今はその旅路で出会った、たくさんの大切なものを手のひらに握り締めてスフェンは生きている。
 その中でも一等守りたいひとがいた。金色の髪と、青にも見えるペールグリーンの瞳に、いつも誰かを守るため傷だらけの体。その姿を心に想うだけで愛しさと温かさがこみ上げてくる。スフェンにとって初めての恋であり、家族や友人以外に覚える特別な愛だった。
(ヴァリ……)
 彼が隣で健やかに生きていてくれるだけで幸せだった。終末を巡る旅の中で、その想いはより強くなっている。しかし他方で、スフェンの愛情の深さは、喪失による悲しみの深さと同義であった。
 出会った当初から、ヴァリは自らを盾にするような戦い方をよくする。それは他人の目から見ればいっそ自己犠牲にも近く、事実、FCを発足した頃はそうだったのではないだろうか。最近は、というよりも、スフェンと暮らし始めてからはそれも徐々に改善はしているため、余程の事態でない限り無茶な行動をすることはないが、戦い続ける限り常に怪我や命の危険はつきまとう。
 ならば、自分は何をすべきなのだろうかと考えた。戦火の中で、光に侵食されるノルヴラントで、ヴァリを守る術を模索した結果、スフェンは賢具を纏う選択をしたのである。賢学に限らず、癒し手として学べるだけの知識を詰め込み、古今東西の医学書を取り寄せては読み漁った。身に着けた治療術はすぐに実戦で取り入れ、独自の改良も重ねている。時には寝食を忘れて本に向かい仲間達に心配されたこともあったが、それでもスフェンは止められなかった。
 いつ何時、「もしも」の状況になっても対応できるように。――自分の全身全霊をかけてでも、愛するひとを守れるように。
「ヴァリに……会わないと……」
 次第にはっきりとしてきた思考で、スフェンは再び直前の記憶を思い出そうとする。メーティオン達は退けた。ゼノスにも、確か競り勝った。そして、デュナミスの満ちるあの場所からなんとか全員帰還できたはずだ。
 では、何故自分は夢など見ているのだろうか。その後がどうしても思い出せない。
(どっちにしろ、夢なんて見ている場合じゃないだろ……!)
 過去の情景を振り払って、スフェンは足に力を込めると立ち上がった。よくよく確認すれば、少年だった体は大人のものに戻っており、身に着けた賢者の装束が風に翻っている。盛りが過ぎて枯れ落ちたクチナシの香りも、もうしない。
 遠くに視線を移すと、ちょうど落陽が最後の光を地平に残して沈みきるところで、その光が消えると途端に周囲は暗くなって闇に包まれた。

 するとまた、視界が急速に切り替わる。瞬く間に周囲の景色が塗り替えられ、気付けばそこは魔導船ラグナロクのブリッジだった。
(戻って……きたのか……?)
 どこから夢でどこから現実なのか分からず一瞬混乱したが、周りを確認すると帰還した仲間達が五体満足なまま全員揃っていたので、スフェンは強張った体から力を抜く。
 しかし安堵しかけたその時、ただ一人、床に寝かせられている黒衣の青年を見下ろして、スフェンの呼吸は止まった。
「え……?」
 泣きじゃくるウナギとハンナ。エドヴァルドとソバ、ロマリリスは険しい表情で治療に当たるミナミとウリエンジェの様子を窺っていた。スフェンが呆然と立ち尽くいていると、癒し手達は彼を見上げて痛ましげに眉根を寄せる。
「できうる限り、外傷の治療はしましたが……」
「でも……目を覚まさなくて……」
 二人が退くと、倒れたヴァリの姿が見えた。告げられた言葉の意味が上手く飲み込めないまま、スフェンは一歩一歩彼に近づいていく。すでに大量の出血があったのだろう、顔は血の気がなく紙のように白い。鎧やコートに変色した血液が付着しており、鉄臭い臭いがした。それでも怪我自体は全て治療されている。本来なら目を覚ましてもいいはずだった。ヴァリが横たわる傍らにスフェンはがくりと膝を突く。
「恐らく、体内のエーテル濃度が急激に下がっているせいだわ。このままでは……」
 ヴァリの肉体状態を視たヤ・シュトラが口ごもる。普段物言いのきっぱりとしているはずの魔女が言葉尻を濁したので、それを聞いたアリゼーの顔が曇った。
「ねえ、これってどうにかならないの⁉」
「……悔しいが、現状では対処の方法が分からない……」
 拳をきつく握り締めたアルフィノが告げると、ショックを受けたアリゼーはその場にへなへなとしゃがみ込んだ。
 エーテルはすべての生命の源であり、特に体内エーテルは生命力、魂、記憶の三要素によって成り立っている。エーテルが肉体から抜け去ったとき、命は消え、生物は死を迎えるのだ。ボズヤでミコトから聞いた話を思い出して、ソバが口を開いた。
「ヴァリは限界まで体を酷使していた。そのせいで、生命力が極限まで枯渇した状態なんだと思う。肉体に例えれば、失血性のショック状態みたいなもので……だから生命力にあたるエーテルを補えれば、あるいは……」
 ソバが口を噤むと、皆黙りこくってしまった。理屈は理解できるのだが、誰もその対処法を知らないのだ。
 一方、彼らの話をどこか遠くで聞きながら、スフェンの思考は奇妙なまでにクリアだった。他人から見れば絶望のあまり呆然自失としているようにも見えたが、彼の頭は持ちうる知識を総動員して目まぐるしく動き続けていた。
(フェアリーを触媒にしてエーテルを……駄目だそれじゃ遅すぎる、もっと直接的にエーテルを供給する方法じゃないと……。それもただのエーテルじゃ意味がない。生命力を供給する必要がある……)
 可能性を組み立てては破棄を繰り返す。最も確率の高い方法を考え続け、そのうち培ってきた知識と経験がスフェンの中で結びついた。
(ああそうだ……この日のために俺は……)
 一つ一つ積み上げてきた。――ただひたすら、奇跡に手が届くように。
 理論はすでに頭の中で出来上がっている。決めてしまえばあとは実行に移すだけだ。
「スーさん……?いったい何を……?」
 力なく放り出されたヴァリの手を取って動きだしたスフェンに、ミナミが困惑の声を上げる。スフェンはそれに構わず、ヴァリと自分をカルディアで繋いだ。確かにパスが繋がったのを感じると、大きく息を吸い込みヴァリのエーテルへと意識を集中させる。

「……今度こそ、奇跡を起こしてみせる」
 


 遠くで誰かが必死に自分を呼んでいる。その声に導かれ、水面に浮かび上がるよう急速に意識が浮上していった。
「ん…………」
 スフェンが重い瞼を押し上げると、そこはまだラグナロクの中だった。今度こそ現実かとぼんやり考えていると、自分を覗き込むように取り囲む仲間達が視界いっぱいに広がり、彼らは泣き笑いするように破顔して見せた。
「まったく、珍しく無茶なことするんだからっ」
 少し湿っぽい調子で話すエドヴァルドが言うと、仲間達や暁のメンバーのみならずレポリット達まで口々に同意して頷いた。仰向けになったスフェンは状況が掴めずキョトンとしていると、そこへ小さな拳がぶつけられる。
「ずーざんのばがぁ~!何でっ、何でっ……も~~!」
 ウナギが泣きながら怒ってスフェンの胸を叩いている。要領を得ない文句を吐き出しながら暴れる彼女を、ハンナが軽く抑えた。しかしながら、その彼女もまたスフェンの服の裾を掴んで控えめに引っ張っている。
「良かった……すーさんが目を覚まして……いっぱい心配したよぉ……」
「本当に大胆な事をする。自分のエーテルを直接流し込むなんて思いもしなかったよ」
 傍で叩かれるスフェンの様子を見ていたアルフィノがそう言うと、横で腕組みをしているヤ・シュトラが、下手をしたら両方危険な状態に陥っていたかもしれないわよ、と溜息を吐いた。
「ま、二人とも助かったんだ。あんまり責めてやるなよ」
「ふう、分かってるわよ」
 サンクレッドに窘められてヤ・シュトラが肩を竦めると、エスティニアンとグ・ラハは顔を見合わせて笑った。
「っ……」
 和やかな空気が流れる中スフェンは起き上がろうとしたが、どう頑張っても指一本動かせないことに気が付いた。体が鉛のように重たく、力が入らない。そうでなくとも、片手が何かに掴まれて身動きしづらかった。
「駄目だよ、急に動いちゃ」
 すぐ隣から聞こえた声に、スフェンの耳が反射的にピンっと立つ。何とか首を回して顔だけ向きを変えると、夢にまで焦がれた薄いペールグリーンの瞳がスフェンを真っすぐ見つめていた。
「ヴァリっ……」
 ヴァリはまだ少し気だるそうだったが、最後に見た時より幾分顔色が良い。何かに掴まれていると思った片手は、隣に座った彼が握っていた。
「スフィがオレに生命力を分けたんだって皆が教えてくれたよ。そしたら、オレはしばらくして目を覚ましたけど、代わりにスフィが倒れちゃったって。……起きてすぐ、また気を失うかと思ったよ」
 ヴァリは茶化すように言うが、それとは裏腹に表情は真剣そのものだった。
「お願いだから無茶しないでよっ……」
 彼は握ったスフェンの手を自身の頬に当てると、今にも泣きだしそうな顔で唇を噛んだ。スフェンはそれに答えず、逆にヴァリの体について尋ねた。
「お前は大丈夫なのか?」
「スフィに比べればね」
「そうか……良かった……」
「ちっとも良くないよ……!せっかく目を覚ましても、そこにスフィがいなきゃ、オレは少しも良くないっ……」
 ヴァリは静かに涙を流すと、懇願するようにスフェンの掌に額を押し付けた。
「……ああ、そうだな。俺も同じ気持ちだ。……だからお前は、俺に無茶させないようにしろ」
「「もうしない」って言ってくれないんだね……」
「諦めろ。次回また同じ状況になったら、どうなろうと俺は迷わずやるからな」
「ああもう、強情なんだから……………………絶対次なんてないよ、覚えておいて」
「ん……」
 動けないスフェンの背に腕を回してヴァリが抱き起すと、くたりとした体はその胸にぴったりと収まる。押し当てた耳にヴァリの鼓動が聞こえて、スフェンの目から堪えきれなかった涙が一筋流れ落ちた。ヴァリもまた抱き締めた体の温かさに触れ、スフェンがしっかりと生きていることを実感してさらにきつく抱き寄せた。
「ただいまっ、スフィ」
「おかえり、ヴァリ……」
 唇が触れ合いそうな程の距離で見つめ合う二人。ともすれば今ここで睦み合いそうな勢いのスフェンとヴァリに、悪役を買って出たサンクレッドが咳払いをして甘い空気に待ったをかけた。
「お熱いとこ悪いんだが、子供が見てるのを忘れるなよお二人さん」
 二人がハッと振り返って周りと見ると、FCの仲間達はもはや呆れた顔をしているだけだったが、ルヴェユールの双子は気まずそうに目を逸らし、逆にレポリットは手で顔を覆いつつ指の隙間から興味津々にスフェンとヴァリの抱擁を眺めていた。
「あー……悪い」
 気まずそうに二人が体を離すと、リビングウェイが喜色を滲ませて「いえいえ!」と首を横に振った。
「私達のことはお気になさらず!どうぞ続けてくださいな!」
「できるか!」
 スフェンの鋭いツッコミが入ると、遠慮なぞ知らんといった黒魔道士達が噴き出す。笑いが伝染し、ブリッジの中が楽しそうな声で溢れる頃には、スフェンの顔は真っ赤になっていて、力も入らないくせに暴れだしそうな彼をヴァリが必死に抑えたのであった。


モニターから見える外の景色は、祝福するように澄み切った青い空。地上からは人々の歓声が聞こえてきそうだ。大団円は間近であった。