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<真雪のワルツ>


 早朝の冷たい空気を吸い込んで、スフェンはゴブレットビュートの長い階段を駆け上がる。近頃めっきり冷えてきたのもあって、吐き出す息が薄ら白い。少し立ち止まるだけで肌の上を伝う汗がひんやりと体の熱を奪っていく。
 階段を上りきったら今度は折り返しだ。登ってきたばかりの石段を軽やかに下っていけば、日課の走り込みも終わりである。最後は流すように家までの道をゆっくり走りきってスフェンは息を整えた。

「クポ〜!スフェンおはようクポ〜!お手紙持ってきたクポよ」
「朝から早いな。ありがとう」
 家の門を潜ると、ちょうどレターモーグリが手紙を運んできたところだった。モーグリは品の良い封筒が使われた手紙を一通渡すと、忙しいから失礼すると言って慌ただしく飛び去っていく。
「この家紋は……」
 押された封蝋を見てスフェンは訝しげに手を止めた。一月ほど前に依頼を受けたイシュガルドの貴族、ヘルトリング家の家紋だ。
 当主のヘルトリングは未だ保守的な空気の残る貴族社会の中でも革新的な存在で、流通事業を商っている珍しい人物だった。イシュガルド出身の貴族と言われるよりも、ウルダハの商人と言われた方がしっくりくるような40代前くらいのエレゼン男性である。
 ヘルトリングとの縁は、冒険者ギルドを通じて討伐依頼を受けたのを端に発する。荷運びの際、陸路で使っている道の途中に魔物が居着いてしまって困っていた彼らは、当時腕利きの傭兵を探していた。貸し借りができるのを避けたいようで、貴族の繋がりがある騎士団に頼むよりも民間に依頼した方が何かと都合が良いらしく、そのため冒険者ギルドに彼らは依頼を出していたようだ。
 この依頼を受けたのがスフェン達である。内容からして二人もいれば充分と判断すると、スフェンはさっそくヴァリを伴って魔物の掃討に向かった。クルザス中央高地付近に現れた魔物は予想通り二人の手にかかればあっという間に駆除できる相手で、半日とかからずに依頼を達成できた。街道の安全を確認して完遂報告をすると、迅速な対応だったと依頼主のヘルトリングが甚く喜んだほどだ。しかも依頼の帰路に着いた道すがら、たまたま外出していた卿の娘が魔物に襲われている場面に出会し、それを助けたこともあって重ねて大変感謝された。偶然が重なっただけであったが、奇妙な縁と言わざるを得ない。
 そのヘルトリング家から手紙が届いた。また討伐の依頼などであればいいが、どうも面倒くさい気配がするなとスフェンは眉を顰める。ヘルトリングは人の良さそうな印象の人物だが、同時に転換期にあるイシュガルドで商機を見極めるだけの抜け目なさも備えた男だ。事務的な内容を送るにしては少々華美な見た目の封筒と相まって、彼からの手紙はスフェンの警戒心を刺激した。
 半ば嫌々封蝋を破って中身を確認すると、案の定単なる依頼ではない文字の羅列にスフェンの尻尾は一瞬ぼわっと膨らんだ。手紙にははっきりと、『舞踏会』の文字が記されていた。



 麗かな昼下がり。窓から穏やかな日差しが差し込むFCハウスの二階に、羨ましそうなウナギの声が響いた。
「いいなあ〜舞踏会!ご馳走!綺麗なドレス!」
「まだ出席すると決めたわけじゃ……」
 カウンターに座って目を輝かせるウナギとは対照的に、キッチン側で出来上がったパスタを盛り付けるスフェンの表情は明るくない。今もこんな話言うんじゃなかったとばかりに嘆息している。
 仕事終わりの四人で昼食を取りにカウンターキッチンに集まったは良いものの、スフェンが世間話のつもりでうっかり手紙の内容を話してしまったがために、その場は舞踏会への招待状の話題で持ちきりになってしまった。
「せっかくご招待を受けたのですから、行ってらしたらいいじゃないですか」
「俺も少し行ってみたいな。もちろん、スフェンが本当に嫌なら断っちゃって構わないよ」
 一緒に招待されているヴァリが控えめながらも興味を示しているとあって、スフェンにはいよいよ逃げ道がなかった。自主性と言おうか、自我と言うべきか。最近それらが育ってきたように思える恋人の要望とあっては、スフェンも無下にはできない。
 招待状には星芒祭を祝って盛大な舞踏会を催す旨が記載されいた。また、娘を助けた恩人であるスフェンとヴァリには、ぜひこのパーティーに参加してほしいと熱烈なまでの表現で文章がしたためられている。
 好意はありがたいものだが、スフェンはこういった集まりが苦手だった。華やかなのは結構。賑やかなのも極度に騒がしくなければ嫌いではない。しかし、イシュガルド貴族の礼儀や伝統といった文化はスフェンには馴染まず、ともすれば格式ばった堅苦しい集まりなのではないかと感じられた。
 そんな場所に着慣れない礼服を身に付けて行かなければならないと思うと、どうしても腰が重い。
 こんな事なら黙って欠席の返信をしておけばよかったと彼が内心で悪い考えを巡らせていると、それを見透かしたようにミナミが「お返事は早めの方が良いですよ」と促してきた。
「それにパーティー会場にはたくさんの方がいらっしゃいますし、新しい御縁があるかもしれないですよ?」
 ミナミにこれも営業だと言われれば、マスターとしてぐうの音も出ないスフェンだった。
「う、………………分かった……行く」
「後で舞踏会の様子教えてねすーさん!」
「どうせ壁際でしばらく突っ立ってるだけだと思うから、土産話はそんなに期待しない方がいいぞ」
 皿と食器を渡すと、スフェンは軽く肩を竦めてみせる。観念して出席することに決めたが、それでも意欲的に参加する気概は彼になかった。主催に挨拶を終えたら適当に食事を摘んで、後は気配を殺して目立たないように過ごすつもりだ。
 スフェンが自分の分の皿を持ってソファに深々と座ると、同じく皿を持って隣に座ったウナギが何故だと声を上げた。
「え〜、それって招待されたのに一回も踊らないってこと?舞踏会だよ?」
「どうせ俺相手に踊るやつなんていない。それに貴族の踊りなんてそもそも踊れないしな」
 それはウナギも同じだったので、彼女は言葉を詰まらせた。今回は舞踏会だ。みんなで焚火を囲んで、適当に楽しくステップを踏むのとは訳が違う。
「まあ、最悪エドに少し教わる。あいつもともと坊々だから踊れるだろうし」
 聞けばエドヴァルドの実家は貴族筋であるというし、ダンスのノウハウもあるに違いない。彼に教えを受ければ、多少形になるだろう。出席するからには主催に対して失礼にならない程度に上手くやらねば。嫌そうなスフェンの顔にはそう書いてあった。
「だったらオレが教えるよ」
 渋々エドヴァルドに連絡をつけようとしたスフェンに、教師役を買って出たのはそれまで静かに成り行きを見守っていたヴァリだった。
「ヴァリさんダンスできるんですか?」
「簡単なワルツとかならね」
「すごぉ〜い!どこで習ったの?」
「え?ああ、まあ……はは、昔ちょっと教えてもらう機会があってね」
 前のめりに言ったわりに、どうやって習得したのかと聞かれてヴァリがたじろいだので、スフェンにはすぐ察しがついた。
(さては昔の女絡みだな)
 目が泳いでいるのがいい証拠だ。過去の事など大して気にしていないスフェンだったが、ヴァリの困った顔が面白いので今度折を見てこのネタで少し虐めてやろうと記憶の片隅に留めた。
「でも踊れるだけで、本格的な舞踏会には出た事ないんだよな……。細かい作法とか分からないかも」
 話題を変えるようにヴァリがそう言うと、ウナギが心得たとばかりに笑みを浮かべる。
「だったらエマネランに聞けばいいよ!色んなパーティーを渡り歩いてるみたいだし。エマネラン以上にイシュガルドの社交界に詳しいひとなんてきっといないよ〜。あ、この後皇都にいく用事があるから、私が聞いといてあげる!」
 善は急げと昼食をかき込むと、皿をシンクに置いて彼女は駆け出していった。怒涛の勢いでハウスを出て行った元気娘の姿を見て、呆気にとられるスフェン達。
「食べたばっかりなのに元気な奴……」
「でも確かにエマネランならそこんとこ詳しそうだね。服装とかマナーとか、事前に聞いとけるならありがたいよ」
「ですね。何があってもいいように準備しておけば安心ですし」
 ヘルトリングは気楽に参加してほしいと手紙に書いてはいたが、これを額面通り受け取ってもいいのかも微妙なところだ。大勢が集まる場ということもあって、何か粗相があったら今後の仕事に差し障る可能性もないとは言えない。準備ができるのならそれに越した事はなかった。
 冒険者への依頼は実績重視が大半だが、前評判が大切なのも確かだ。そう言った意味でイシュガルドの社交界に顔を売っておくのは決して無駄ではない。これも仕事の一部だと考えれば意義のある事に思えた。
「さ、うなちゃんのおかげでダンスの練習に集中できますね」
「うん。スフェン、早速この後練習しよ」
 何だか嬉しそうなヴァリとは逆に、険しい表情のスフェンはパスタを咀嚼しながらぎこちなく頷いた。



 FCハウスの地下室はホールになっている。広々とした空間はダンスの練習にはお誂え向きだ。
 昼食を終えたスフェンとヴァリは、ミナミに背中を押されて地下室で練習を始めた。卓上オーケストリンからは優雅で軽やかな曲調のワルツが流れ、向かい合った二人はそれに合わせてステップを踏む。
「基本のワルツが踊れればいいと思うから、とりあえずこれだけ覚えよう。いいよ、その調子」
 密着した体勢でフロアをくるくると踊る二人。スフェンを見つめるヴァリの眼差しはさも愛しげで、恋人とのダンスを楽しんでいる様子だ。一回り大きさの違う手のひらを優しく握り締め、不慣れなスフェンのため、文字通り手取り足取り教えている。
 しかし、片やスフェンの方は眉間にしわを寄せて苦々しい表情だ。
「おい……すごくやり辛いんだが」
 練習のためヴァリが女性役を務めるのだが、いかんせん二人の身長差は三十cm以上あった。スフェンもイシュガルドという土地の都合上、自分より背の高い相手と踊る可能性は考慮しているが、流石にこれでは動き辛い。おまけに男性側は本来なら女性の肩甲骨あたりに手を添えなければならないが、高さが合わないためスフェンの手はヴァリの腰に回っている。
「……やっぱりダメかな?」
「足型の練習はできなくもないが、上体の組み方はこれじゃどうにも……」
「う〜ん……いたっ」
「悪いっ」
 体格差ゆえに踊りにくさがあるのは明白であった。歩幅も違う相手なので、スフェンもステップは正しく踏めるものの、一方で度々ヴァリの足を踏んづけている。腕の長さも異なるため、本来なら腕を伸ばさなければならない体勢のときも、ヴァリは窮屈そうに肘を曲げていた。
「やっぱり無理があるだろコレ。ミナミかウナギにも声かけて付き合ってもらったほうが早い」
「オレのこと捨てるの……?いだっ!」
「なんだ?ずいぶんと柔らかい床だな?」
「オレの足です止めてください!冗談だから、ごめんてば踏まないで!」
「フンっ」
 グリグリと踏みつけられた足を退避させると、ヴァリは怒られた犬のように項垂れてみせた。
「せっかくスフィと踊れると思ったのにな……」
「……まさかと思うがお前、俺と踊りたくて「教える」って言い出したのか?」
 ヴァリの肩がピクリと動いたのをスフェンは見逃さなかった。
「いや、それだけじゃないよ?……半分くらいはそうだけど……」
 焦ったように笑みを作るヴァリに対して、スフェンは呆れたとでも言うように首を横に振った。今回やけに食いつきがいいと思えば、下心があってのことだったようだ。
「……ま、ミナミとウナギのどっちかに時間作ってもらわなきゃならないし、俺の練習は後日改めてやるか」
「うん、そうだね……じゃあ今日はここまでってことで、音楽止めるね」
 ヴァリは名残惜しそうにスフェンの手を離し、とぼとぼと歩くとピアノの上に置かれたオーケストリオンに触れた。
「待った」
 しかしスフェンはそれを制止すると、離されたヴァリの手をもう一度取った。そして今度はスフェンがヴァリの手のひらにその手を重ねる。
「まだお前が練習してないだろ」
「え、」
「お前だって久しぶりなんだから、本番ぶっつけでやって上手くいかなかったじゃ格好つかないしな。仕方ないから、俺が練習台になってやるよ」
 それに女性役を学べば自分が踊るときに活かせるだろうと、スフェンはさも正論であるように語った。
「〜〜スフィっ!」
「あっ、この、ひとをぬいぐるみみたいに持ち上げるな!」
 暗にお前と踊ってやると言うスフェンに、ヴァリは堪らずその体を力一杯抱きしめた。両足がふわりと宙に浮く感覚に、腕の中からは抗議が上がる。
 嬉しさを前面に出して頬や額に口付けたら鬱陶しいと顔を背けられたが、今のヴァリには些細な事であった。
「ありがとう、スフィ」
 満面の笑みでスフェンを床に下ろすと、ヴァリは低い位置にある肩から背に手を回してホールドした。
「リードするから任せて」
 緩やかに手を引かれ、スフェンはヴァリに身を預けた。メロディーに合わせてゆったりと足を滑らせる。最初は覚束なかったスフェンも、ヴァリのリードで徐々に慣れていった。
「楽しいね、スフィ」
 照明の下でもきらきらと輝く明るいペールグリーンの瞳が、スフェンを見つめて細まる。
「まあまあだな」
 スフェンの返事はぶっきらぼうだったが、それが賛辞の意であることをヴァリは知っていた。背中越しに白い尻尾が動きに合わせて振れているのが何よりの証拠だ。
 それを見てヴァリは笑みを深めると、踊りながらまたふっくらとした頬に口付ける。それに対して今度は応えるようにスフェンが顔を傾けたので、気を良くして何度も唇を滑らせると、「動き止まってるぞ」と足で軽く小突かれた。



 冬を迎えた皇都は厳しい寒さに見舞われていた。雪こそ降っていなかったが、吹きつける風は体を内側から凍えさせる。だからこそ、邸内の入り口から漏れ出る温かさがより身に染みた。
 開かれた大きな扉の向こうには、上等な生地を使ったお仕着せを身に付けた使用人が立っている。老齢の執事は二人を見つけると恭しく頭を下げた。
「ようこそ、お待ちしておりましたナクシャトラ様、レッドマール様。お越しいただきましたこと、主人に代わりまして御礼申し上げます」
「こちらこそ、お招きありがとうございます」
 ヴァリが一歩前に出て応じ、やや表情の固いスフェンもそれに合わせて軽く会釈する。
「コートをお預かりします。どうぞ中へ」
 促されて屋敷に入ると、シャンデリアと燭台の灯りで屋内は温かく照らされていた。高価そうな絵画や調度品が飾られた玄関ホールは広々としており、天井が高いためより開放的に感じられる。ハルオーネや騎士の彫刻が施された樫の木作りの柱が特に目を引く立派な邸宅だ。
 玄関ホールには他の招待客が溜まっており、飾り付けのされた大きなもみの木の下でにこやかに談笑している。メインとなる会場は中央奥にある観音開きの扉の向こうのようで、そこからより多くの人間の気配を感じた。
 そこでスフェンは周囲をぐるりと観察すると、ほっと安堵の息を吐いた。
「俺達、浮いてないよな?」
「全然平気だと思う。エマネランに見立ててもらって正解だね」
 今日の二人は色違いのシンプルなテールコートを纏っている。ヴァリは落ち着いた黒にも見えるネイビーカラー、スフェンは張りのある明るいグレーカラーだ。イシュガルドの貴族と言えば毛皮と刺繍を施した豪奢なコートのイメージがあったが、エマネランの話では若者を中心に二人が着ているようなタイプの礼服が夜会で流行しているらしい。その証拠に、周りで歓談している若い男性の多くが品の良いテールコートを着用していた。
「スフィも少し髪いじればよかったのに」
 ヴァリは緊張した面持ちのスフェンの髪を一房すくうと、軽く流すように指先で払った。
「俺はいいんだよ、いつも通りで」
 左側の髪を耳にかけるよう後ろに撫でつけたヴァリに対して、整髪剤をつけるのを嫌がったスフェンは、念入りに櫛を通しただけで普段の髪型と同じだった。
「それにしても、思ったより招待客が多いな」
 奥へと入る一団の後についてメイン会場に足を踏み入れると、老若男女合わせて300人近くもの客がずらりとフロアを埋めていたので、スフェンは感嘆にも似た呟きをこぼした。
 玄関ホールに設置されたものよりさらに大きなもみの木には、星やプレゼントボックスなどのモニュメントが鈴なりに飾りつけられている。壁には星芒祭の由来である神殿騎士が凍えた市民を赤いマントで包む場面を描いた絵画や、色とりどりのリースなどが飾られており、会場は星芒祭一色だった。
「星芒祭はどちらかといえば平民寄りのイベントなのに、貴族もこんなに祝うなんて意外だね。手紙もらったときもちょっと驚いたけど」
「貴族のヘルトリングが星芒祭のためにパーティーを主催するってのも妙な感じだ。……あ、でも招待されてるのは貴族だけじゃなさそうだな」
 ヴァリがスフェンの視線の先を追うと、不安げにキョロキョロと辺りを見渡すエレゼン女性と目が合った。質は良さそうだがシンプルなドレスや、場慣れしていない雰囲気から貴族ではなさそうだ。
 彼女はスフェンを見つけるとパッと表情を明るくさせ、ご馳走が並ぶテーブルや着飾った紳士淑女の壁の間を縫ってこちらまでやってきた。
「スフェンさん!お久しぶりです!」
「ああ、久しぶりだな、エルド」
 エルドと呼ばれた女性はスフェンに対して親しげに声をかけると、ヴァリが彼の連れだと気付いて丁寧に一礼した。
「エルド、こいつはヴァリ。うちの仲間だ」
「お初にお目にかかりますわ、エルドと申します」
「ご丁寧にどうも。ヴァリです、よろしく」
「エルドは宝杖通りで主に革細工製品を扱う商会を運営してるんだ」
「はい、スフェンさんには以前お店で売りに出す商品についてご助力いただきまして、その節は大変お世話になりました」
 貴族向けの店が多いイシュガルドで、彼女は平民向けに手頃で使いやすい革製品を売っている。スフェンは職人として彼女の商売が軌道に乗るまでの手伝いをしていたことがあるのだと説明した。ちなみに、実は彼の名を冠するブランド品がエルドの商会では扱われているのだが、それについては触れない方向でスフェンは話を進めるつもりである。
「エルドもヘルトリングから招待を受けたのか?」
「ええ、私の他にもイシュガルドで活動している商会関係の人間が結構招かれているようです」
 確かに、今一度見渡せばエルドの言うように貴族ではなさそうな者がちらほらと見受けられた。中にはスフェンが蒼天街の復興事業に携わった際に知った顔もある。
「聞くところによると、ヘルトリング様は事業の拡大を計画しているようです。流通業で扱う品物を増やしたいそうで」
「……なるほど、読めたな」
 スフェンはエルドの話を聞いて神妙な顔つきで頷いた。ヘルトリングは星芒祭に託けて商人を集め、それにより新たな取引先を見つけて事業の幅を広げるのが目的のようだ。身分を問わず、業績を伸ばしている商会の人間や工房の職人なども招待しているようで、ヘルトリングの商売に対する貪欲さが感じられた。ここはパーティー会場であると同時に、ビジネスの場でもあるようだ。
「じゃあエルドさんの商会はヘルトリングに選ばれたってわけだね」
「やっぱり!そういうことでいいんですよね!嬉しいなあ」
 エルドは瞳を輝かせて喜びを露わにした。商いに真摯な彼女にとって、ヘルトリングのような大物事業家の評価は嬉しいところだろう。
「最初はちょっと警戒してたんです。貴族が平民を招くなんて、以前までは考えられなかったですから。でも、今日は来てよかった。……イシュガルドに新しい風が吹いてるのを感じられました」
 そう言ってエルドは穏やかに微笑んだ。
「それに招待状の通り、お二人にも会えましたから」
「招待状?」
 スフェン達二人が予め来ることを知っていたかのような口ぶりでエルドが話すので、スフェンとヴァリは疑問符を浮かべて首を傾げた。『招待状』という単語を聞いて、嫌な予感が頭を過ぎる。
「招待状に書いてあったんですよ。今日は竜詩戦争を終結に導いた英雄も来るって。それってつまり、お二人のことですよね?」
「なっ!?」
「英雄に会えるかもって事で、皆期待してるんです。若い貴族の方も興味があるみたいで、会場でも噂してるご令嬢とかいらっしゃいましたよ」
 ヴァリはスフェンの頬が引くつくのを横目で見てから、「是非にお越し下さい」と招待状に認めてあった意味に気付いた。ヘルトリングは思っていた以上に食えない人物らしい。英雄二人は人を集めるためのいい広告塔になったようだ。
「あ、こうしちゃいられませんね!折角いただいた商機ですもの、私あちらで営業してきます!お二人とも、良い夜を」
 世間話を終えて軽やかな足取りで去っていくエルドを見送り、ヴァリはそーっとスフェンの様子を窺った。
「あの狸親父め……俺達をダシにしたな……」
「お、落ち着いて……」
 静かな闘気を練っているスフェンをなだめながらも、ヴァリとてこの後訪れるであろう面倒を考えて肩を落とした。その時だ。

「やあやあ、ようこそ英雄殿!」

 なんて最悪のタイミングで登場するのだろうか。二人の姿を見つけた茶髪のエレゼン男性が、まるで周囲の客にその存在を知らしめるようにスフェン達へ声をかけた。
 イシュガルドの貴族らしい黒いフォーマルなコートを身につけたヘルトリングは、にこやかな表情で二人に近寄ってくる。招待客の視線がこちらに集中するのを感じながら、げんなりした顔のスフェンを隠すようにヴァリはヘルトリングの前に立った。
「英雄殿、先日は助かりましたぞ!依頼の件も、娘の事も。感謝しております。また、本日は英雄の二人にお越しいただけたおかげで盛況な星芒祭になりそうです。重ねて御礼申し上げます」
「英雄などと……一介の冒険者には過分な呼び名で恐縮してしまいます」
「貴殿らがドラゴン族との長きに渡る戦いに終止符を打ったのは事実。何を謙遜する必要がありましょう」
 ヴァリの控えめな訴えをヘルトリングは意にも介さず笑って切り返した。
 『英雄』という単語に反応してギャラリーが多くなっていくのを感じる。背後のスフェンは必死に苛つきをいなそうとしているようだが、白い尻尾が不機嫌そうにゆらゆらとしているのが隠し切れていなかった。これ以上彼を刺激するのは止めてくれと祈るような気持ちでヴァリは一つ咳払いをする。
「ご挨拶が遅れました。改めて、お招きありがとうございます。このように盛大な催しに参加できて光栄です」
 会話が終わったらどうやってこの場を離脱しようかと内心でヴァリが考えていると、ヘルトリングはそれを見透かしたように笑みを深めた。
「そうかしこまった席ではないので、肩の力を抜いてお楽しみいただければ私としても幸いです。ああ、あまりお引き留めしてしまっては皆に申し訳ない。では、私はこれにて……星芒祭の夜を満喫してもらえれば嬉しい限りですな」
 そう言って主催のヘルトリングがその場を辞すると、若い貴族を中心に機を窺っていた周囲の客がわっと集まってきて、スフェンとヴァリは瞬く間に人の壁で囲まれた。
「お二人がかの英雄殿ですね!是非お話を伺いたいのですが……」
「どのような冒険をなさってきたのですか?竜との戦いはやはり恐ろしかったのでしょうか?」
「浮島へ行かれたとお聞きしました。不思議な鳥のような獣人が住んでいるのだとか……よければ詳しくお教え願いませんか?」
 矢継ぎ早に様々な質問が寄せられたので、ヴァリは出来る限り一つ一つに答えようとするが、スフェンの方は今にも逃げ出しそうな状態だ。一応頑張っているようだが、先程から「何とかしろ!」と言わんばかりに尻尾でヴァリの太腿の裏あたりを叩いていた。
 しかし理不尽だと思うよりも、出会った当初のスフェンならばすでに気配を消して逃げていたと考えられるだけに、顔の筋肉を強張らせながらも相手と話そうと一生懸命になっている姿を見て、こんな状況なのに不思議と感慨深いヴァリであった。

「あのっ、よろしければ私(わたくし)と踊っていただけますか?」

 冒険の話を聞きたがるギャラリーの中で声を上げたのは、頬を赤らめた貴族の令嬢だった。彼女は意を決したようにドレスグローブに包まれた自分の両手を握って群衆の中からヴァリにダンスの申し入れると、ドレスの裾を摘んで小さく一礼して見せる。
 エマネランから聞いた話では、イシュガルド貴族の慣例としてダンスは男性から誘うのが一般的らしい。マナー違反とまではいかないが、親しい間柄を除いて女性から声をかけるのはあまり好ましくないのだという。
 それを押し切ってヴァリにダンスの相手を申し込んだ彼女に対して、年嵩の客人達から微かなどよめきが起こったが、それに反して若い女性達は何かに気付かされたようにハッと顔色を変えた。一人目の彼女を皮切りに、たくさんの女性が我も我もとヴァリに詰め寄る。
「私もお相手いただけますでしょうかっ」
「よろしければ私も……!」
「お次は私とも!」
 空気を読んだかのように音楽隊が曲を奏で始め、他所で立ち話をしていた人々も会場のメインホールエリアに出て踊り始める。女性達の勢いにやや気圧されていたヴァリだったが、とりあえず誘いを受けなければこの場は収まらなさそうだと判断して、一番最初に声をかけてきた令嬢の手を恭しく取った。
「喜んでお受けいたします、レディ。なにぶん田舎者ですので、無作法があればお許しいただきたい……」
 そう言ってヴァリが笑みを浮かべると、彼女はさらに頬を真っ赤に染めて惚けたように頷いた。
「お待たせして申し訳ありませんが、順番にお相手をさせてください」
 放心気味の令嬢をダンスフロアにエスコートしながら他の女性達に向き直って深々と一礼すると、彼女らもニコニコとして素直に首を縦に振った。
 ヴァリに手を引かれるエレゼン族の令嬢は、嬉しさとときめきを表情に滲ませてヴァリを見つめている。
(よくもまあ、あんなにペラペラ言葉が出てくるな……)
 まったくこんな時にはあの外面も便利なものだとスフェンが呆れ気味に感心していると、女性を引き連れて開けたダンスフロアへと歩いていくヴァリが一瞬こちらへと視線を移し、音を発さずに「後でね」と唇の動きだけで伝えてきた。「早く行け」と同じように伝えると、ヴァリは苦笑して人垣の中に消えていく。
 着飾った紳士淑女が並ぶ姿に、どこからか「絵になる二人ですわね」という会話が聞こえた。
(……さて、俺もこのあたりでいいだろ。さっさと捌けてイシュガルド料理でも堪能するか……)
 周囲がヴァリ達に気を取られている隙に、ご馳走の並ぶ壁際のテーブルまで逃げ込もうとして、スフェンはそろりと一歩踏み出そうとした。
 サリャク河で釣れる香魚の燻製。ロフタンの肉を使ったフリカッセ。鮮やかなダラガブポポトのビシソワーズ。ざっと見渡しただけでも見慣れない料理ばかりだ。貴族の催しで出されるだけあって、どれもスフェンのレシピにはない一皿ばかりである。
(食材はイシュガルド産のものが多そうだな。家でも作れそうな料理は……)
 品よく盛り付けられた皿に手を伸ばそうとしたその時だ。小鳥のような声がその手を止めた。
「あの、スフェン様……私もダンスにお誘いしてよろしいかしら?」
「え、」
 練習もしたし、一曲くらいなら実際に踊ってもいいかと考えてはいたが、あくまでもそれは誘ってくる相手がいればの話だ。ヴァリはともかく、どうせ自分に声がかかることはないだろうとタカを括っていたスフェンは、こちらを見て微笑む小柄なエレゼン族の少女が放った言葉の意味を理解するのに、しばしの時間を要した。
「あっ、ご迷惑でしたら申し訳ありませんっ」
「いや、迷惑じゃない。単に驚いただけで……」
 固まるスフェンに対して、少女が申し訳なさそうに肩を縮めた。
 虹布を柔らかなラベンダーブルーに染め上げた可愛らしいデザインのドレスには、パールや小さなダイヤを使用した細緻な刺繍が施されている。編み込みを混ぜながら結い上げられた長い茶髪を留めているバレッタは精巧な金細工だ。職人業の長いスフェンにはいかに高価な品か一目でわかった。それだけで彼女の、引いては彼女の家門の財力が窺い知れる。きっと良家の娘なのだろう。
「では、一曲お願いできますか……?」
 まだ二十歳にも満たないであろう少女はスフェンよりも少し背が低く、アリゼーと背格好が似ている。もとよりそのつもりもないが、妙に断りづらいお願いだと思いながらスフェンはほっそりとした手を取った。



 伸びやかに響く木管楽器の音色に合わせてドレスが翻る。ダンスフロアを上から眺めたなら、それは大輪の花が開くような情景だろう。
 シャンデリアが着飾った女性達のアクセサリーをいっそうキラキラと輝かせ、ダンスホールは華やかな光に満ちていた。ウナギやハンナが見たなら、夢のような空間だと言ったに違いない。
 何組もの男女がステップを踏みながら流れるようにくるくると踊るその中に、スフェンと少女の姿もあった。
「冒険者さんって、ダンスもお上手なんですね」
「こんなの付け焼き刃だ」
 謙遜でもなく本心だった。練習の記憶を思い出しながら踊るスフェンには、自身が上手いのか下手なのかも分からない。
「いいえ、本当にお上手。体の芯がブレないと言いますか……体幹がしっかりしてらっしゃいますのね。やっぱり鍛えている方は違います」
 そう言われれば悪い気もしないのが人情だろう。照れを隠すようにスフェンは口をひき結んだ。
(……ん?)
 そこでふと、後ろ頭にこびりつくような視線を感じた。ターンをするついでに振り返ると、遠くの方で踊っている何とも言えない顔をしたヴァリと目が合う。しかも彼の背後にへたり込んだ犬の幻影が見えたような気がして、スフェンはパチパチと数度瞬いた。
 少女もヴァリの存在に気が付いたようで、「あっ」と声を上げる。
「ヴァリ様すごいですね。あちらのご令嬢達全員が順番待ちの方のようです」
 そわそわした様子の美しい令嬢達の一団が、ヴァリを見つめて溜め息をこぼしている。それがスフェンにはとても面白おかしい光景に見えた。
「参考までに聞きたいんだが、ヴァリってどんな風に見えるんだ?」
 そう聞くと、腕の中の少女は考え込むように小さく唸ると、やや恥ずかしそうに呟いた。
「そうですね……まるで御伽噺に出てくる王子様のようです。涼やかな面立ちも、プラチナブロンドの髪も、青みを帯びたペールグリーンの瞳も、絵本から飛び出してきたみたいだなって思いました」
「………………ふ」
 それを聞いて、スフェンは思わず吐息だけで笑った。初対面の人間にはそのように見えるらしい。
 彼の知るヴァリ・レッドマールは王子様とやらとはおよそ真逆の人間だ。見た目が良いのは事実として認めるが、彼はもっと泥臭い男である。だが、そんな部分を知らない、世間慣れしていない貴族の娘からしたら、絵に描いたような美男子のようだ。
 しかし、それならば何故彼女はヴァリではなく、自分と踊りたがったのかとスフェンは
疑問に思った。故郷の妹達がそうであったように、年頃の少女であれば『王子様』とダンスがしたいと考えるのが普通ではないだろうか。
 彼女の真意が気になって、賑やかでテンポの速い曲からゆったりしたメロディの曲に変わったタイミングで、スフェンは口を開こうとした。
「あっ、」
「おっと」
 けれどスフェンが言葉をかける前に、少女がよろめいてバランスを崩しかけたので、咄嗟に踏ん張って軽い体を支えた。そのよろめき方が少々不自然だったため、スフェンは首を傾げる。
「申し訳ありません、少しもつれてしまって……」
「なあ、もしかしてなんだが……どこか怪我してないか」
「い、いえ、そんな……」
「足、変だろ。見せてみろ」
 少女は戸惑う様子を見せたが、スフェンはそれに構わず踊るのを止めて、彼女を支えながら壁際のカウチまで導いた。



 カウチに座らせた少女の靴を脱がせると、擦れて赤くなった踵や指がドレスの裾から覗いていた。
「痛かっただろ……」
「大丈夫です、血も出ていませんし、これくらい平気ですわ」
 少女は気丈に振る舞ったが、痛みを我慢しているのは明らかだ。
「こんな状態で踊ったら傷が残る。手当てしてから、別の楽な靴に履き替えた方がいい」
 彼女の履いていた靴は華奢で踵の高いハイヒールだ。優美なデザインで女性受けしそうだが、少女の年頃を考えるとやや大人びているような印象を抱いた。
「…………ええ、そうですね。そうします」
 何か言いかけたようだったが、彼女は納得したように頷いた。その両手は、膝の上でキュッと握り締められている。
「……気に入ってる靴か?」
 スフェンに問われて、項垂れていた少女は顔を上げる。しかし、ふるふると首を横に振った。
「お気に入りというわけではありませんの……」
「ならどうして」
 その質問に、少女のヘーゼル色の瞳が、ほんの少しだけ水っぽく揺れた。
「……お母様には、踵の高くないフラットシューズを履きなさいって言われたんです。お花のコサージュがついた可愛らしい靴です。でも私は子供っぽいから履きたくなくて…………どうしてもこっちを履くからって無理を言って、結局このハイヒールを選びました」
 鼻の頭を赤らめて、自嘲気味に少女は笑う。その横顔は話の内容に反して大人びているようスフェンの目には映った。
「お恥ずかしいです。私ときたら背伸びばかりして、でも結局失敗ばかりで。この間だってそうです。スフェン様達に助けていただけなければ、私は今日いなかったかもしれません」
「この間……?」
 何の話か分からないと首を捻るスフェンに対して、少女は悪戯っぽく微笑んだ。
「ふふ、やっぱり気付いていらっしゃらなかったのですね。ほら、私ですわ、娘のレネット・ヘルトリング」
「……あ」
 スフェンの脳内で唐突に人物像がカチリと嵌った。化粧や服装のせいで気付かなかったが、よくよく観察してみれば確かにあの日助けたヘルトリングの娘だ。
「全然気付かなかった……最初に会ったときと格好が違いすぎるから……」
 スフェンとヴァリが彼女と出会ったのはクルザス中央高地である。仕事を終えて雪道を歩いていたところ、絹を裂くような悲鳴が聞こえた。声のする方角へ駆けつけると、雪に足を取られて倒れ込んでいる少女がオーガに襲われているのを発見し、二人は即座に魔物を討ち倒した。
 助けた少女は採掘師のような身なりで、体に不釣り合いな大きい革鞄とピッケルを背負っていた。それがまさか貴族の娘だとは思いもしなかったので、後になってヘルトリングから娘だと聞いた際は驚いたものだ。
 スフェンが彼女を見ても気付かなかったのは、この時の労働者の格好が記憶に強く残っていたためだった。
「本当にありがとうございました。お二人は命の恩人ですわ。スフェン様にはお見苦しいところばかりをお見せして、本当に恥ずかしいですが……」
「気にする必要なんてない。それより、何であんな場所一人で彷徨いてたんだ?ピッケルまで担いで」
 スフェンが隣に座って、再び落ち込むレネットの気を紛らわせるように聞けば、彼女は言い淀むように視線を迷わせてから、今度ははっきりとした口調で逆に問いを投げた。
「あの、噂で聞いたのですが、スフェン様は蒼天街の復興に協力されたとか」
「あ、ああ。まあ少し手伝ったな」
「それでは、実際に復興作業のために物資を納品したり、資材を作ったりしたのですよね?」
 何故こんな事を聞くのか不思議に思いながらもスフェンは頷いた。
「すごい……!本当に何でもお出来になるのですね!……とても、羨ましいです」
 一瞬瞳を輝かせたレネットだったが、すぐに寂しそうな表情に戻ると、フロアで踊る人々や周囲の喧騒を遠い目で眺めた。
「私は、駄目でした。何をやっても上手くいかなくて。ちっとも役に立てなかった」
「……レネット?」
「先程尋ねられましたよね。なんであんな格好であそこにいたのかって。……ふふ、考えたら笑ってしまいますね……実は私、あの日は復興に必要な物資を採集するために中央高地に行ったんです」
 笑い話のように語るレネットだったが、その目は真剣そのものだった。
「猊下が身罷られて、隠されていた色々な事が明らかになりました。お父様は「これからは風向きが変わる」、とも仰られていましたわ。実際、その通りでした。一人の国民として、私もイシュガルドの変化を肌で感じています」
 レネットは自身の胸に手を当て、思いの丈を語った。スフェンは黙って彼女の話に耳を傾ける。

「竜族との戦いがなくなって、人々は国の内側にもっと目を向けるようになりました。荒れてしまった蒼天街の復興が始まったのも、その一例ですわ。皆平和を願って……未来に向かって走りだしたのだと気付きました」

「それを知って私何かしたくて……貴族の娘の気まぐれだと思われたとしても、自分の力でイシュガルドの未来のため役に立ちたかったのです。相談したら、幸いにも両親は応援してくれました。自分で考えてやってみなさいと……」

「最初は物作りをしてみようと思いましたが、私はあまり器用な方ではなかったようで、職人のような手仕事はできませんでした。だからまずは皆様がしているように、復興のために必要な物資を納品しようと思って……」

「中央高地なら皇都から近いですし、一人でも何とかなるとその時は考えたのですが……浅はかでした。外には危険があるのだと、知っていたつもりでも、理解ができていなかったのです」

「周りに迷惑ばかりかけてしまって、情けないです。でも、私は……」

 レネットの話を聞きながら、スフェンは初めて皇都に足を踏み入れた日の事を思い出した。降りしきる雪の中、固く閉ざされた正門が重々しく開かれた先に待っていたのは、閉鎖的で三国のいずれとも違う寒々しい雰囲気に包まれた国。
 一方で彼女の言葉は、まるで熱い血潮のようだ。イシュガルドという国を巡る血の一滴。それが今、脈打つように流れている。
 何もかも上手くいかない。自分には何もできないのではないか。そんな無力感にレネットは苛まれているようだったが、スフェンは彼女の話す一つ一つの言葉に宿る熱を感じ取っていた。それは何度も触れたことのある衝動にも似た熱だ。
 ならばきっと、些細なきっかけさえあれば彼女は立ち上がれるだろう。
「周りと同じ事できなくても、別にいいだろ」
「え……?」
「俺のカンパニーには色んな奴がいる。体術に優れている奴、魔法が得意な奴。でも皆完璧じゃない。苦手な事だってある。戦いは得意だけど物作りはてんでダメってパターンとかな」
 ヴァリとハンナが調理師ギルドに入門した初日に錬成、もとい調理した炭を思い出してスフェンは堪えきれず少し笑った。
「誰にだって向き不向きがある。だからこそ、世の中それぞれが補い合うように上手くやってる。ひと一人が出来る事は違う。……でも、それがいいんだ」
 スフェンの脳裏に旅の記憶が蘇る。様々な土地に赴き、たくさんの誰かに出会った記憶が。

旅の中で出会う誰もが一人一人異なっていた。
姿も種族も、思想も理想も同じではない。
守りたかったものが違った。
願ったものが違った。
愛したものが違った。
憎んだものも違った。
そのせいでたまにお互いをどうしようもなく傷つけ合った。

 それでも人々は出会って、自分と違う誰かを知って、手を取り合うこともある。そこから生まれる新しい可能性が、とても眩しかった。
 どこまでも響く歌のように、幾万もの糸で織りなした美しい布のように。
 綾なす縁が作る光が、今もスフェンの旅路を彩っている。
 スフェンにも確信があるわけではない。それでもレネットの心にその気持ちがあるならば、きっとこれから誰かに、何かに出会って、彼女もまた走り出すのではないかと、直感めいたものがあった。
「他の人間と同じ事ができないからって、レネットが落ち込む必要なんてない。レネットが出来る事でイシュガルドのために何かすればいい」
 スフェンの語る内容を聞いてレネットが顔を上げる。それは夜空の星を仰ぎ見る仕草に似ていた。
「私に出来る事……そんな事、あるでしょうか」
「必ず上手くいくなんて、無責任に俺が保証することはできない。……でも、レネットが何かしたいと「想い」続ける限り、可能性はなくならない……俺はそう思う」
 そう言って、スフェンはレネットの握り締めた小さな拳に手を合わせた。彼の手の温もりで解けるように、強張った手のひらから徐々に力が抜けていく。
「私が想い続ける限り、可能性はなくならない……」
「イシュガルドの未来のために何かしたい。その想いがレネットを動かした。いてもたっても居られなくなるくらい。それはすごい事だ」
 ほろりと、少女の瞳から一粒の涙がこぼれ落ちた。けれどそれきりで、レネットは涙を自ら拭うと曇らせていた顔に笑みを浮かべる。
「スフェン様、私……」

 微笑むレネットが口を開いたそのとき、二人の上に大きな影が落ちた。
 カウチの前に所在なげに佇む人物を見て、スフェンはキョトンと首を傾げる。
「どうしたんだヴァリ?向こうで踊ってたんじゃ……」
「ちょっと踊り疲れちゃって……少し気分も悪くなってきたから休もうかな〜、と。それでスフィと一緒にどっか座ろうかなあって、探しに来たんだけど……」
 過去に誤ってスフェンのカップを割った際などもそうだったが、ヴァリが妙に口数の多いときは何かしら後ろ暗い事や罪悪感のあるときだ。それに気付いたスフェンは、観察するようにヴァリをじっと見つめた。
 長くはないが、そう短くもない時間を共にしたスフェンだからこそ分かる。ヴァリは平静を装っているが、急いでこちらに歩いてきたようだ。かき上げた額にはほんの薄っすらと汗が滲んでいる。
「話してるとこに邪魔だったかな」
「いいえ、大丈夫ですわ。それより本当にお顔色が優れないようで心配です……ホールの外に休憩用のスペースがありますので、よろしければそちらでお休みください」
 レネットの話を受けて、スフェンは立ち上がるとヴァリの腕を取った。
「途中で悪いなレネット。こいつ連れて行くから」
「私は平気ですわ。家の者を呼んで替えの靴も持ってきてもらえますし。お薬など必要でしたら、何なりとお申し付けください」
「ああ、助かる」
「二人が話してる途中なら、オレ一人でも大丈夫だから……」
「いいから黙ってキビキビ歩け」
 ヴァリが自分を探しに来たことなどスフェンにはお見通しだ。レネットと話し込んでいるところを見つけて、迷った挙句声をかけたことも。
 出会って間もない頃のヴァリなら、そんな事はしなかっただろう。

「スフェン様!」
 ホールを出て行こうしたとき、スフェンの背中をレネットが呼び止める。振り返ると、シャンデリアの灯りの下で晴れやかな表情の少女が手を振っていた。

「私、探してみます!自分が出来る事!」



 メインホールから玄関とは反対の通路にでると、分厚いカーテンで仕切られた天幕のような小さな休憩室が並んでいた。照明が絞られており、煌びやかな室内に慣れた目を休めるのにも丁度良い空間だ。
 近くには誰もいないようで、ひとの気配は感じない。スフェンは隅のカーテンを選んで開けると、その中にヴァリを押し込んだ。
 天幕の中には小さな吊り下げ式のランプが一つと、円形のテーブルに椅子が二脚置かれていた。正面には背の高いガラス張りの窓があり、バルコニーへ出られるようだ。
「で、体調はどうなんだ。水でも持ってくるか?」
 スフェンはヴァリを片方の椅子に座らせると、パーティー用のグローブを外して前髪の下から手を差し込んだ。どうやら熱はないらしい。
「えっとそれが、もう治ったかも……?」
「はあ?疲れた顔してるくせに何言ってるんだ。たく、少し休め」
 傍らに立ったスフェンは片手でヴァリの頭を抱くと、自身の体に引き寄せて落ち着かせるようくしゃりと髪をかき混ぜた。
「……あのさ、さっき何の話してたの」
「何だよ、藪から棒に」
「いや、スフィが笑ってたから、気になって」
 そんなに笑っていただろうかとスフェンが尋ねると、拗ねたような声で「嬉しそうだったよ」とヴァリが答えた。
「別に大した話はしてない。そうだな……なんて事ない、未来の話だ」
 スフェンの返答の意味が掴みきれず、ヴァリは怪訝な顔をしている。それが無性におかしくて、スフェンはわしゃわしゃとヴァリの頭を撫でた。
「どうりで寒いと思ったら……降り始めたな」
 スフェンがヴァリから離れて窓辺へ移ると、窓の外に白い雪が花びらのように舞い落ちていくのが見えた。まだ粉雪程度だったが、吐息で曇ったガラスを拭って外を眺めていると、見る間に石畳みの道が白く覆われていく。
「スフィは少し変わったよね」
「そうか?」
「変わったよ。今みたいに、よく笑うようになった」
 ヴァリは窓辺に立つスフェンに近づくと、指先でその頬の輪郭を撫でた。熱烈な視線と、先程ダンスフロアで見せたあの何とも言えない表情で。
「……お前も大概変わったよな」
「え?そう?」
 自分までそんな事を言われると思っていなかったようで、ヴァリは意外そうに「どこが?」と自分の顔を触った。まだまだ無自覚なようだ。
「そのうち分かるか……」
「なん、んっ」
 スフェンはヴァリの顔を両手で引き寄せると、言葉ごと飲み込むように口付ける。薄い唇を啄み、ときおり悩ましげな吐息を漏らした。
「ふ、ん……」
「ん、はあ……す、スフィ?」
 スフェンからキスをするのはとても珍しい。ヴァリは驚いたらいいのか喜んだらいいのか分からず、困惑した声を上げた。
 仏頂面が標準装備の彼にしてはいやに機嫌が良いのも不思議だ。それが何故か分からないまま、ヴァリはスフェンにされるがまま身を委ねた。ちゅ、ちゅ、と音を立てて彼の唇が頬や瞼に当てられる。
(ま、いっか……スフィが楽しそうだし)
 すると、何を思ったのか今度はスフェンがヴァリの手を引いて窓の外へと連れて行く。手摺り付きのバルコニーは広くはなかったが、二人が踊る分には充分だった。
「せっかくだからここで一曲どうだ?」
「寒くない?」
「少しくらいなら平気だろ。それに引っ付いて踊れば多少マシだ」
 遠くから微かに聞こえる舞踏会の音楽を耳にしながら、半ば抱き合うように二人はゆっくりと踊った。剥き出しの耳が外気に晒されて寒かったが、重ねた手のひらや、ぴったりと密着した部分から互いの体温が混じり合い温かい。
「なあヴァリ」
「ん?」
「本当は俺もほんの少し…………………いや、やっぱりいい」
「え〜、そこまで言われたら気になる、言ってよ」
「嫌だ。言わない」
 そっぽを向くようにスフェンがヴァリの胸に頬を当てる。目を瞑ると心地よい心音が聞こえた。
「……ヴァリ」
「何?」
「仕事も落ち着いてきたし、春になったらどこかへ旅に出るぞ。まだ行った事のない場所へ」
「……俺も着いて行っていいの?」
「当たり前だろ。FCの奴らも全員連れて行くぞ。出発前にちゃんとロマリリス捕まえておけよ」
「うん……分かった」
「ヴァリ」
 柔らかに自分の名を呼ぶ声に、もはや言葉は不要と悟ったヴァリは、こちらを見上げる薄い藤色の瞳を見つめながら口付けを落とした。



 真雪が解ける頃。またこうして手を取り合って旅に出る。そうして変わりゆく時の中で、新しい誰かに出会う。
 その旅路の傍らに、いつまでも彼がいる事を願って。