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<いつかの恋人たち>


 人間は人生の様々な局面において『学び』を得ることができる。本日のヴァリにとっての学びは、外泊する際は家主に事前連絡を入れるべき、という同じ家に住む者としての気遣いだった。
 その晩断りもなく帰らないとどうなるか。まずは家主が作らなくてもいい食事を一人分多めに作ることになる。また、いつ帰るのか不明なので翌日の朝食が必要なのかも分からない。
 あとは玄関の施錠。遅くなるだけなら鍵を開けておかなければならないので、家主はこの判断に迷ってしまう。そして、ヴァリはまだ家の合鍵を持っていなかった。
 その他にも洗濯のタイミングなど共同生活においての細かな不都合が発生する。そしてそれを総合すると、その不都合を受ける家主の機嫌が悪いことも推し量ることができた。
 ヴァリに背を向けて遅めの朝食を用意するスフェンからゆらゆらと立ち昇る怒気を感じながら、せめてもと皿やコップを並べる。菜箸で卵を溶くカッ、カッ、という音が随分と鋭く聞こえた。
「外泊することは構わない。でも連絡なしは駄目だ。頭に刻んでおけ」
「すみませんでした……」
 背中で怒りを語るスフェンに向かって頭を垂れる。とりあえずは初犯ということで、今回大きなお咎めはなかった。食卓に並べられたヴァリのおかずが全ていつもより一回り小さい程度である。



 長らく一人での生活が続いていたヴァリにとって、誰かと一緒に暮らすこと自体がとても久しぶりだった。兄との二人暮らしではあったが、唯一の家族である彼は食い扶持を稼ぐためほとんど家にはいなかったので、ここまで他人と同じ空間にいること自体もしかしたら初めてかもしれない。
 スフェンの家で共に生活をはじめてしばらく経ち、彼の家で暮らす上でのルールはだいぶ頭に入ったと思っていた。しかしそれまで帰る時間や食事の有無など気にしたこともなかったがため、今回のようなミスを犯してしまったのだった。
(家に帰って誰かいるって、不思議な感覚だな……)
 ヴァリはトーストを齧りながら、少し離れた場所でスクランブルエッグを口に運ぶスフェンを眺める。皿に視線を落として目を伏せていると、生え揃った睫毛がよく見えた。当たり前だが彼は睫毛まで白い。目元には薄っすらとその影が映っており、自分とは異なる縦に割れた瞳孔と相まって、印象的な瞳だと感じた。
 彼と話していると今は遠く離れた場所にいる兄を思い出す。生真面目な性格がどことなく似ているせいかもしれない。小さな頃はヴァリが遅くに帰ってくるといつも小言を言って叱られた。それがひどく懐かしい。
「お前……ひとの顔をおかずにでもして食事してんのか……」
 スフェンを凝視しすぎたらしい。げんなりとした顔がこちらを向いたので首を横に振って答えると、「よそ見してないで早く食べろ」と釘を刺された。
 今日は名誉の回復のために尽くさなければならない。食事の片付けを終えたら、スフェンが依頼の整理をしている間に掃除を済ませてしまおう。
(でも、連絡しろとは言ってもどこに行ったかまでは聞かないんだよな)
 兄と違ってスフェンはヴァリが何をしているのか気にしていないようだった。行き先すら尋ねられたことはない。だから隠すつもりはなかったが、恋人と会っているため家に帰らないのだと教えてはいなかった。
 同じ家で寝食をともにしているが、スフェンはそれ以上のプライベートには踏み込んでこない。
(何考えてるか分からない時もあるけど、意外と距離感が絶妙なんだよな、スフェンって)
 他人を家に住まわせるほど情に厚いと思いきや、線を引くところはきっちりと引いてくる。最初はそれがとても気楽で、スフェンの隣にいると自分でも気付かないうちに入っていた肩の力が抜けていくような心地だった。
 でも、今は何故かそれが少しだけもどかしい。ヴァリにはその感情の正体が分からなかった。



 スフェン達のFC運営は順調だった。最近また新たに三人の冒険者が加わり、受けられる依頼の幅が広がったためますます忙しい。特に冒険者居住区に拠点を設けてからは、日々様々な仕事をこなしギルドにも顔が売れてきた頃だった。
 複数の依頼が重なることもあり、立て続けに舞い込んだ仕事を消化するためその日はラノシア方面とザナラーン方面でチーム編成を二つに分けた。
 スフェン、エドヴァルド、ハンナ、ウナギの四人で向かったのは低地ラノシアの洞窟である。最近住み着いた魔物を駆除するため、明るいうちから洞内を見て回ったおかげで夕方には全ての作業が終わっていた。
「う〜、終わった!ご飯!ご飯!」
「ウナちゃんどこか食べ行こうよ」
「賛成!エドさんとスーさんも行こうよ!」
「いいね、行こうか」
「ん、ビスマルクでも行くか」
「「わ〜い!」」
 外に出て夕陽に目を瞬かせながら喜ぶ女子組だったが、ここにはいないメンバーのことをはたと思い出してスフェンを振り返った。
「ザナラーンで仕事してるヴァリさんは?いいの?」
「ミナミとおそばちゃんは大丈夫かもしれないけど、ヴァリ君には連絡しないといけないんじゃない?」
 彼女達がこのように聞くのも、スフェンとヴァリが一緒に暮らしているのを知ってのことだった。二人は家で食事を共にしているため、連絡もなしに片方が外食することはあまりない。仲間で食事をする際も二人揃っている場合はそのまま外食しているが、そうでなければ家に帰って夕食にするか相手をリンクシェルで呼ぶことがままあった。
「今日はいい。用があって遅くなるって聞いてるからな」
「そっか。じゃあこのまま四人で食べ行こ!私お肉にする!」
 ウナギはスフェンが珍しく二つ返事で応じた背景に合点がいったようだ。気持ちはすでにビスマルクの皿の上にあるようで、意気揚々とリムサ・ロミンサに向けて歩き出したので、三人も彼女にならって後に続いた。



 夕暮れ時の街は冒険者や漁師達で賑わっていた。行き交う人々の楽しげな会話を耳にしながら、レストラン・ビスマルクがある建物を目指して石畳の道をゆっくりと進む。
 ビスマルクは大変混雑していたが、スフェンを始め他のメンバーが調理師ギルドに顔がきくこともあって、比較的スムーズにテーブルへと案内してもらえたのは幸いだった。注文した新鮮な魚介料理や肉の串焼きなどが並べられると、皆我先にと華やぐ食卓に手を伸ばす。
 仕事終わりに美味しい食事を頬張ると自然と会話も弾んだ。依頼の話、新しい装備屋の話、最近できた趣味など。仲間達の近況を静かに聞きながらスフェンは皿を空にしていく。自炊生活が長いので、たまの外食は良い息抜きだった。
 そうして食事に集中していると、次第に話題はスフェンとヴァリの共同生活の方へと移っていく。ハンナに話を振られたので、スフェンは口に運ぼうとしたロブスターを一度皿に戻した。
「スーさんはヴァリ君と暮らしてるんだよね?いいなあ友達とシェアハウス。楽しそう」
 スフェンの脳裏には「居候」という単語が浮かんでいたが、ハンナがウキウキと話すのできゅっと口を噤んだ。
「ヴァリとの生活はどう?慣れた?」
「まあまあ。料理以外はそれなりにできるし、家にいると便利」
「そんなお掃除グッズみたいに言って……」
 エドヴァルドはスフェンの言い草に呆れたが、当の本人は気にした様子もなく海老の殻を剥くのに勤しんでいる。
「殻入れくれ」
「はいはい……でも意外と上手くいってるみたいで安心したよ」
 性格も何もかもが正反対のように見える二人であるため、同じ家に住むと聞いたときは一抹の不安を覚えたエドヴァルドだったが、この様子だと神経質なところのあるスフェンに上手くヴァリが合わせているようだ。それを知ってホッと胸を撫で下ろした。
「気になるのは無断外泊くらいだな。それも一回やらかして以降はちゃんと連絡するようになったから大して問題でもないけど」
「ヴァリさん帰って来なかった日あったの?それは心配しちゃうね」
「ん……詳しくは知らないけどたぶん女関連だから心配いらないと思う……」
 スフェンがそう溢すと、年頃の女性二人は色めきたった。食事の手を止めると、身を乗り出してヴァリの恋人について教えてほしいとせがむ。
「えー!?ヴァリ君付き合ってる人いるの!?どんなひと?スーさん知ってる?」
「知らない。だいたい恋人がいるって直接聞いたわけじゃないし」
「え、じゃあなんで付き合ってるひとがいるなんて……」
 ハンナが不思議そうに首を傾げると、スフェンはくしゃりと顔を顰めた。
「あいつ、朝帰りするときいつも女物の香水の匂いして臭いから」
「わ〜……大人だね……」
「流石ヴァリさん……モテるんだね……」
「あんなののどこがいいんだか……」
 気はきくがいまいち他人の機微を本当の意味で理解していない。スフェンから見たヴァリはそんな人間だった。それがどうしてモテているのか分からない。
「だってヴァリ君格好いいもん」
「顔がいい!!」
「「ねー!」」
「まあ、性格も優しいし、女性相手にもスマートに立ち回れそうだからモテるんじゃない?」
 客観的に見れば好印象だと三人が口を揃えて言うので、スフェンはフォークで持ち上げたサーモンのマリネを皿の上にぼとりと落とした。ヴァリのことを人間との暮らしを覚え始めた大型犬ぐらいにしか思っていなかったので、第三者から見たイメージとの乖離に首を捻る。
「そんなか……?」
「そうだよ!絶対モテるなって最初思ったもん」
「でも長続きしないタイプだろあいつ」
 優しいが肝心なところで他人との距離がありすぎる。おまけに妙に物分かりが良すぎて可愛げがない。そんな人間と付き合う者達の気が知れないとスフェンは鼻白んだ。そもそも、夕飯に何が食べたいと聞いて「何でもいい」と返すような男の良さなど分かるはずもない。
 すると噂をすれば影というやつで、スフェンのリンクシェルが通知を知らせた。
「あ?ヴァリからだ」
「え、ヴァリ?デート中じゃないの?」
 このタイミングで連絡をしてきたことに疑問の声が上がる。スフェンもおかしいなと思いながらしぶしぶリンクシェルに出た。
「何だよ、出かけたんじゃなかったのか?」
『───、───!』
「は?鍋?」
『──、─────?』
「よく覚えてたなそんなの……。いや、そりゃあったら嬉しいけど……。今日じゃないだろ。お前今恋人と一緒なんじゃないのか?」
『─!?────?』
「ああ、やっぱりか。あのな、毎回あんな香水くさいんじゃ俺じゃなくても分かる」
『──…….、────、─────。────。───?』
「まあお前がいいなら……」
『────、─────。───────』
「お前……」
『─?』
「いや、何でもない……。分かった。朝飯は?」
『──』
「了解。じゃ」
 リンクシェルを切ると、興味津々といった顔の三人と目が合う。会話の内容が聞きたくて仕方がない様子の仲間たちの圧に負けてスフェンは口を開いた。
「ヴァリさん何て!?」
「やっぱり恋人と一緒だと」
「「キャー!」」
「でもデートの最中に何でかけてきたわけ……?」
 エドヴァルドに問われてスフェンが言葉に詰まる。何故と聞かれれば理由は明白だったが、それが根本的な答えではなかったからだ。
「なんか……この間俺が独り言で新しい鍋欲しいって言ってたの覚えてて、良さそうなやつ見つけたから買って帰るって……」
「デート中に……?」
「デート中に」
 スフェンはデザートのプディングをつつきながら、やはりヴァリがモテるなど嘘だろうと呆れた表情で呟いた。


 
 時を遡る事少し前。仕事を終えたヴァリは仲間達と別れウルダハの街にやって来ていた。待ち合わせ場所に向かえば、街灯の下で待っていた恋人の女性が彼を見つけて笑顔で手を振る。
 彼女は以前仕事を請け負った依頼主の娘で、初対面のときに連絡先を聞かれて後日付き合ってくれないかと告白された。ヴァリには特段断る理由もなかったため二つ返事で了承すると、晴れて二人は恋人同士になったのである。
「待った?」
「ううん、私も今来たところよ。行きましょ!」
 腕を絡める彼女に合わせてゆっくりと歩き出す。今日は夜市が立つので、露店を見て回る予定だ。
 エーテライト広場前には道の両サイドに様々な店が並び、常にない賑わいを見せていた。夜の闇をランプの灯りが照らし出し、雑貨やスパイスの籠が所狭しと店先を埋める光景は圧巻だ。
「見て見て、これ柄が可愛い」
 彼女はオリエンタルな模様のショールを手に取って、ヴァリに羽織って見せた。豊かな黒髪とよく合っていたので、「似合ってる」と褒めれば彼女は頬を染めて喜ぶ。
 プレゼントしたショールを巻いた彼女とともにしばらく通りを冷やかしていると、雑貨屋の軒先に吊るされた品物にヴァリの目は吸い寄せられた。
(あ、この鍋いいな)
 材質といい大きさといい、ついこの間スフェンが欲しがっていた物と条件がピッタリと一致する。使っているものが古くなって買い替えたいが、なかなか納得のいく品が見つからないとぼやいていた彼の姿が思い出された。
 白地に青い草花の模様が美しい、爽やかな印象の品だ。白を基調としたスフェンの家によく映えることだろう。
「あら、ヴァリって料理できるの?」
 鍋を真剣な眼差しで見ていることに気付いた彼女が問いかけるが、ヴァリは苦笑しながら首を横に振った。
「オレはからっきし。一緒に住んでる友達が料理上手なんだけど、ちょうど鍋が欲しいって言ってたの思い出してさ」
「え、友達と一緒に暮らしてる?」
 初耳の情報が出て彼女はきょとんとしている。
「あ、そうそう。オレが居候してるかたちなんだけどね。家事の手伝いはするけど、料理だけは本当に役立たずだから……せめて道具買うくらいしようと思って」
「ふうん……。その友達って、女の子?」
「まさか。男友達だよ」
 どうやら彼女はヴァリが女性と暮らしているのではと疑っているらしい。世間話程度にに男二人の暮らし模様をつらつらと語ってみたが、完全には信じてもらえていないようだ。
「『スフェン』君かあ。ね、『スフェン』君って可愛い?」
「えっと、どうだろ。スフェンは男だし、可愛いかどうかとか考えたこともないけど……」
「冗談よ。嘘ついて女の子と住んでるんじゃないかと思ってカマかけただけ」
「ひどいな……本当なのに。付き合ってるのは君だけ」
 そう言えば彼女はようやく満足したようで、機嫌を直してヴァリの腕にしなだれかかってくる。
「『スフェン』君もいいけど、私も結構料理上手なのよ?今度何か作ってあげる」
「うん、ありがとう」
「ヴァリは何が食べたい?」
「君が作るものならなんでも食べるよ」
 そうして二人はまた仲睦まじく通りを散策しはじめる。しかし、彼女に応えながらもこのときヴァリの思考は明後日の方向に向いていた。
 スフェンが可愛いかどうかと聞かれて、何故そんな質問をするのだろうかと思ったのと同時に、無意識に彼の姿がヴァリの脳裏に浮かんだ。
 イライラと尻尾を振るところ、街の喧騒に耳をパタつかせているところ。他にも仲間達と話しているところ、ほんのり垂れているはずの目尻を吊り上げてヴァリに小言を言っているところ。本当に稀だが、目を細めて優しく微笑んでいるところ。意識的に思い出そうとしなくとも、スフェンの一挙手一投足が鮮明に思い浮かべられる。
 何故だろうか。彼に会いたくなった。
(さっきの鍋やっぱりいいよなあ。買って行ったらスフェン喜ぶかな)
 新しい鍋を持っていそいそとキッチンに入っていく後ろ姿を想像して、微笑ましさにうっすらと笑いがこみ上げる。表情はいつもと変わらないのに、尻尾が左右に振れて雄弁にその気持ちを表しているところが目に浮かぶようだった。
「ごめん、ちょっとスフェンに連絡してもいい?」
 気付いたときには彼女への断りの台詞が口をついて出ていた。戸惑いながら頷く恋人のそばを少し離れ、ヴァリはいそいそと鍋を売っていた店まで戻ると、リンクシェルをスフェンへと繋いだ。
 数コールのあと応答があり、やや驚いたような返事があった。
『何だよ、出かけたんじゃなかったのか?』
「スフェン、この間新しい鍋ほしいって言ってたよね!」
『は?鍋?』
「今夜市に来てるんだけど、良さそうなやつ見つけてさ、買っていこうと思うんだけどどう?」
『よく覚えてたなそんなの……。いや、そりゃあったら嬉しいけど……。今日じゃないだろ。お前今恋人と一緒なんじゃないのか?』
「え!?何で知ってるの?」
『ああ、やっぱりか。あのな、毎回あんな香水くさいんじゃ俺じゃなくても分かる』
「なるほど匂いか…….、気付いてたんだ。うん、今日は彼女と一緒に買い物してる。でも鍋一つなら大した荷物にならないし、このまま買って帰ってもいいかな?」
『まあお前がいいなら……』
「宿屋に行ったら部屋に置いとくだけだし、それ以外はあんまり買い物する予定もないから問題ないよ。そうだ、明日この間作ってたシチュー作ってほしいな。もう一回食べたい」
『お前……』
「なに?」
『いや、何でもない……。分かった。朝飯は?』
「いらないと思う」
『了解。じゃ』
 スフェンらしい事務的なやり取りの終わりに苦笑する。耳に残るややぶっきらぼうなテナーを無性にもう少し聞いていたいと思ったが、彼は朝食の有無を聞くと何故か呆れ気味に通話を切った。
(明日の夜はシチューかあ。昼は軽めにしとこ)
 明日の予定を考えてヴァリの頬が自然と綻ぶ。それを見た彼女の表情など気付きもせず、彼は店員に鍋を丁重に包むよう頼んだ。
 ヴァリが選んだものが二人の生活空間に追加される。そう考えると、温かいような、それでいて締めつけられるような感覚が胸に宿った。
「待たせてごめんね。行こうか」
 彼女へと振り返りずいぶん待たせてしまったと謝ると、意味ありげな視線が返ってくる。その目は彼女にも見せた事のない微笑みを浮かべていたヴァリの顔をじっと見つめていた。
「…………」
「どうしたの?」
 このときヴァリは俯いて震える彼女の手のひらがギュッと握り込まれていることに気付くべきだった。そして次の瞬間、その拳が緩んだ頬に飛んでくることも。

*︎

 庭のベンチに座って、スフェンは己の腹を摩った。調子に乗って食べ過ぎてしまったようで、ベッドに潜って眠ろうとしたが胃のあたりが気持ちが悪くて寝付けない。
 仕方がないから寝る前に風にでも当たろうとして庭に出ると、快晴のゴブレットビュートの空は星で埋め尽くされていた。しばらく夜空を眺めてから戻ろうと座り込むと、寝入る直前で温まった肌の上を夜風が撫でていく。
 気持ちの良い夜だ。もう少しすれば腹具合も落ち着くだろうと思うと、今度は急にうつらうつらとしてくる。
 すると、夢の入り口に足をかけようとしたところで人の気配がしてスフェンは飛び起きた。
「あ、スフェン。遅くまで起きてたんだね。ただいま」
「……?帰って来ないはずじゃ……」
 スフェンが驚くのも当然だった。なにせ広場の灯りを背に立っていた人物は、つい先程明日まで帰らないと連絡してきたヴァリであったのだから。
「いや、そのはずだったんだけど……どうしてあんな事に……」
 薄暗くて最初は気付かなかったが、歯切れ悪く言い淀むヴァリの頬は赤く腫れていた。その両腕には大事そうに鍋が抱えられている。
「お前それ殴られたのか?」
「うん……。その後何故か「そんなにイチャつきたきゃとっとと帰れ浮気野郎!」って……俺なんかしたかな……」
 思い当たる節がないヴァリとは対照的に、彼が通話越しにどんな顔をしていたかも知らないスフェンは、手にした鍋としょぼくれたエレゼンを比べて憐憫の眼差しで彼を見上げた。
「スフェンのことちゃんと男友達だって説明したのになあ……」
「わざわざリンクシェルなんかかけてくるから要らない誤解を招くんだ」
「う〜ん、何か、かけたくなったから……」
 要領を得ないヴァリの言葉にスフェンは肩を竦めた。
「とりあえず鍋置いて冷やせ。それ明日もっと腫れるぞ」
「げ、」
 意地悪く笑うスフェンに促されて二人は家の中へと戻っていった。暗くなっていたリビングの窓がパッと明るくなる。
 ヴァリが氷嚢を当てながら「その鍋いいでしょ」と聞けば、「悪くないな」とスフェンは尻尾を一振りして答えた。