<午前2時のぬくもり>
ヴァリがベッドの上で目を覚ましたのは、草木も眠る真夜中のことだった。額にじわりと浮かぶ嫌な汗を拭いもせず、早鐘のように脈打つ心臓を押さえる。
(嫌な夢……)
それは時たま見る悪夢だった。スフェンがヴァリを置いて、どこか遠くへ行ってしまう夢。あるいは、お前などもう必要ないと告げられる、思い出すのも心が拒むようなひどい夢だ。
今夜は見知らぬ誰かがスフェンを連れて行ってしまう夢だった。
「ふぅ……」
小さく息を吐いて、強張っていた体から力を抜く。柔らかな寝具に体が沈むのと同時に、何度目か分からない罪悪感がヴァリを襲った。
(スフィは……あんな事しない……。オレに黙って誰かのところ行くなんて……)
スフェンは自分を裏切るような人物ではない。酷い言葉を浴びせるような事もしない。それを理解していながらこんな夢を時折見てしまうのは、ヴァリの自分自身に対する自己評価が低いせいだ。
本当にスフェンの隣に立つのは自分でいいのか。いつか捨てられてしまう日が、──スフェンが自分を見つめなくなる日がくるのではないか。そんな、澱のような感情がヴァリ心の底には深く沈んでいた。
スフェンと恋人同士になり改善された部分も多いが、ヴァリの根幹には幼少期に形成された未だ根深い影がある。その影が彼にまとわりつき、悪夢となって現れていた。
スフェンを疑うような夢は、彼の事を信じきれていないという告白のような気がして、一抹の罪悪感をヴァリに抱かせる。そして、いつもその後はどうしようもない寂しさに胸が埋められた。
音を立てないように、首だけを動かして枕に預けた頭を左隣に向ける。薄暗闇の中、健やかに上下する胸と、どこか幼い寝顔の輪郭がぼんやりと見えた。
(……抱きしめたいな)
小さな子供が不安な時お気に入りのぬいぐるみにでも抱き着くように、力任せにスフェンを腕の中に閉じ込めたい。そんな衝動に駆られる。
しかし、すやすやと深い眠りに落ちる彼を起こすの本意ではない。ヴァリは欲求に蓋をして、せめてもと思いながら、布団の中でそろりそろりとスフェンの手を探した。起こさないように何十秒もかけて少しずつ指を絡め、弱い力で掌を握った。
(あったかい……)
ヴァリの掌より一回り小さく、それでいてヴァリよりも温かな体温。血の気が引いた指先にじんわりと温もりが移る。それを感じて、少しだけ胸の空虚が薄まった。
「ん……」
すると、スフェンが小さくむずかるように声を漏らした。
「んん……つめたい……」
スフェンはとうとうはっきり声を発したかと思うと、半分だけ眼を開いてヴァリの方を向いてからぽつりとそう呟いた。自分の手が冷たすぎたのだと気付くと、ヴァリはサッと手を離した。
「ご、こめん……。オレの手冷たかったね……」
なくなった温もりに未練を残しながら言うと、スフェンは起きているのか寝ぼけているのか分からない言葉をごにょごょ口の中で転がしながら、ゆらりと上半身を起こした。そして、そのままヴァリの肩あたりに手を突くと、胸元に覆い被さるように倒れてまた眠ってしまう。
「す、スフィ……?」
「……すぅ……すぅ……」
胸の辺りで聞こえてくる規則正しい寝息。困惑するヴァリを他所に、どうやら完全に寝てしまったようだ。
スフェンに上からホールドされたヴァリは、戸惑いながらもその背に腕を回した。抱き締められたスフェンだったが、今度は身じろぐこともない。
ぐっと堪えた衝動がまた湧き上がる。苦しくない程度に力を込めて、胸の内に抱き込んだ。スフェンの体温が移った場所から、冷たくなった心が解けていく。
(スフィ……)
先ほどスフェンが夢現に呟いた言葉を、ヴァリはちゃんと聞いていた。
『なんだ こわいゆめでもみたのか』
この温もりが、スフェンの愛の形なのだと知った。