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<貴方には治療が必要です>


 ずっしりと体にかかる重みを支えながら玄関の扉を開けると、体からどっと力が抜けそうになった。崩れそうになるのを耐えながら足に力を込めると、上から小さく「ごめん」と降ってくる。
「謝るくらいならもう少し加減しろ。躊躇なく突っ込みやがって」
「でもさ、こうして生きてることだし、いだっ」
「傷口を塩もみされたくなきゃ黙ってろ」
 満身創痍のヴァリを引きずって階段を下るのは一苦労だ。長い足が邪魔だと散々ぼやきながら何とか浴室の入り口まで辿り着くと、スフェンは自身の帽子と羽織っていたマントを乱雑に脱ぎ捨ててからヴァリの衣服に手をかけた。
「まずは洗い流さないとどうにもならないな。手上げろ」
「お手数かけます……」
「都市内の病院に預けてきてもよかったんだからな」
「あそこの看護師さん厳しいからちょっと」
「治しても治しても傷だらけでやってくる患者がいたら俺だってそうなる」
 返す言葉もないのでヴァリは苦笑しただけだった。逃げ遅れて魔物に囲まれてしまった人々を助けるためとはいえ、確かに少々無茶をした自覚はあったので、ここは何を言ってもスフェンの機嫌を損ねることになるだろう。彼の癒し手としての手腕を信頼してのことでもあったが、それも口にすればかえって怒らせてしまいそうだ。
 スフェンがヴァリの血が滲んだコート類を剥ぎ取って中に着ていたシャツを脱がせると、真新しい傷跡から今も鮮血が僅かに流れているのを発見した。
「チッ、開いたか」
 治癒術で傷口を塞いで止血したが、帰ってくる途中で開いたようだ。スフェンが手をかざすと浴室に温かい光が溢れ、みるみるうちに傷は塞がっていった。
 しかし、術式は応急措置でしかないため、しっかりと医科的な治療をしなくてはならない。ヴァリの装備や衣服をすべてむしり取ると、温度を確かめながらシャワーのコックを捻った。
「く、しみる……」
「自業自得だ」
 スフェンは血や泥が水とともに排水溝に流れていく様を見ながら、しっかりと洗うべきだと判断して自身の装備も本格的に外した。湿気で張り付く手袋を引き抜いてから、医療道具を括り付けた太もものベルトを解く。煩わしくなってコルセットベストや首あてなど上半身の装備をブラウスだけ残して脱ぎ捨てた。
「頭怪我してないだろうな」
「うーん、痛みはないし打った覚えもないから大丈夫だと思う。たぶん頭から流れてるのは返り血」
「……ならいい」
 金色の髪に触れながら悟られない程度に小さく安堵の息を吐いた。
 ヴァリは少しも分かっていない。彼が誰かや何かを守るためと言いながらその身を盾として使い大怪我をするたび、スフェンがどんな気持ちでその傷を癒しているのかを。
 だが分かってほしいと思う反面、こんな気持ちをヴァリに打ち明けたくはなかった。これはスフェンのエゴでしかない。
「しばらくは自宅療養だな」
「書類仕事なら手伝えるよ。FCの事務仕事やる」
「ん。そうしろ」
 手のひらで泡を作りながら、傷口に触らないよう丁寧にヴァリの体を洗う。背中側を洗っているとき、戦闘で負った傷跡の中に自身が数日前つけた噛み跡が薄っすら残っているのを見つけて、スフェンは背骨に沿って点々と続くそれを消すようにごしごしと擦った。
「っ、」
「痛むか?」
「えっと、そういうわけじゃないんだけど……」
 曖昧に笑うヴァリに対してスフェンは怪訝な顔で首を傾げる。妙に前屈みな姿勢なので、腹でも痛めたのかと心配になって覗き込むと、ヴァリは焦ったようにスフェンを制した。
「スフィ!前は大丈夫だから!」
「本当か?他に怪我隠してるんじゃないだろうな?」
「隠してない隠してない!」
 湯気で見えづらいがどうもヴァリの表情が固い。まさかもっと酷い傷でも腹側にあったのではと疑いが浮かんで、スフェンはやや強引に前へと回った。
「………………いや、ちっとも大丈夫そうじゃないが」
「お願い見ないで……」
 見られたくないものを見られて、呻きとともにヴァリが顔を覆った。反応を示し始めた彼の下半身が、隠すものもない状態で存在を主張している。
「戦闘の後ってあれじゃん、スフェンもわかるでしょ?それなのにやらしい触り方するから……」
「は?してないが?」
「したよ……背中、何であんな触り方するの……」
 ピクリと白い耳が震えた。
 理不尽だと顔を顰めるスフェンと居た堪れないヴァリ。シャワーの流れる音が響く浴室で、両者に思惑の異なる沈黙が流れた。



「え、あの、スフィ何してるの……?」
 スフェンは風呂から上がったあと、ヴァリの肩に寝巻きを羽織らせてからベッドに座らせると、おもむろに床へ座り込んだ。
「待ってスフィ、本当に何するの!?」
「……だって、こんなまま寝られないだろ」
 未だに鎮まらない自身を見て顔を赤らめるヴァリとは対照的に、スフェンは普段の二割増しで仏頂面だった。
「俺がいやらしい触り方したのが悪いんだろ。だったら責任取って抜いてやるよ」
「え"」
 ヴァリは我が耳を疑って硬直した。だが目の前の恋人が放った言葉の意味を理解するよりも早く、当人が自分の膝を割り開いて足の間に陣取ったので早まるなと肩を抑えた。
「手どけろ」
「そういうわけには……。オレはトイレいってくるからスフィは先に着替えててよ、頼むから」
 ね、と諭すように言うと、スフェンの耳が横に向かってピンと張った。
(うわ、イカ耳……めちゃくちゃ怒ってる……)
 笑顔の裏で冷や汗をかくヴァリの内心を知ってか知らずか、スフェンは意固地なまでに引き下がらなかった。肩を抑えられたまま目の前のヴァリ自身に向かいふっと息を吹きかける。
「うあ、」
 油断していたところに羽のような刺激を与えられてヴァリの腕から一瞬だけ力が抜ける。それを見逃すスフェンではなかった。
 確かな固さを持ちはじめたヴァリの猛りを手のひらで包むと、挑発するように緩慢な早さで扱いていく。
「っ、やば……」
 決して柔らかくない手のひらだったが、スフェンが握っているという事実だけでヴァリにとっては過ぎた刺激だった。
 最初はやわやわと軽くスライドさせていたが、次第に手の動きは早くなっていく。ぬるりと滑る感触がしてくると、スフェンの攻めは激しくなった。
「スフィ、止めよう……自分でやるから……」
「遠慮するな」
 ヴァリの制止など聞き入れる気のない返答が短く返ってきた。スフェンは変に頑固なところがある。達するまで引き下がりそうもなかった。
 仕方なく彼の好きにさせようと決め、ヴァリは耐えるように目を瞑る。一方、本当はほんのり嬉しくもあったが、それを表に出すのは憚られた。
「………」
 しかしながら、スフェンの技量はとてもではないが高いとは言えず、決定打に欠ける緩い快感がさざ波のように押しては引いてを繰り返していた。
(どうしようかな、これイケるか?)
 生殺しのような状態が続くのはヴァリとて辛かった。スフェンもそれに気づき始めているのか、眉間にシワを寄せて表情には焦りのようなものが浮かんでいる。
 だが負けず嫌いのスフェンを途中で止めたりやっぱり自分で処理すると伝えたならば、向こう一週間は口を聞いてもらえない可能性があるため、ヴァリはひたすら悪戯のような愛撫に耐えるはめになった。
 そのとき、急にスフェンの手が止まった。考え込むように押し黙ると、意を決したように口を開く。
「え、嘘でしょそれはだめ!」
「……ん、熱……」
 スフェンが陰茎に口をつけようとしたので驚いて咄嗟に制すると、意図せずして滑らかな頬に脈打つ竿の部分がビタリとぶつかって、ヴァリはまた固まった。
(どうしよう泣きそう)
 申し訳なさと羞恥の波状攻撃に、精神の残り体力は限りなくゼロに近づいていく。頬に当たった刺激すら少し気持ちが良かったのがまた罪悪感に拍車をかけた。
「止めてスフィ、それだけは……そんな事させられない」
「口に入れるからってなんだ。いつももっとすごいとこに突っ込んでるくせに」
「〜〜っ、そうだけど言い方さぁ……」
 身も蓋もないパートナーにガックリと肩を落とす。思い切りが良すぎるのは彼の長所であり短所だった。
 部屋の僅かな灯りがゆらゆらと揺らめいて、恥ずかしそうな、それでいて悔しそうなスフェンの顔を照らしている。
「……お前は、したくないのか」
 耳を済ませなければ聞こえないほど小さな声でスフェンが呟いた。迫力のない上目遣いの睨みつけがヴァリの心をグッと揺さぶる。
「したくないと言ったら嘘になるけど………………」
「で?つまりは?」
「………………無理のない範囲でよろしくお願いしマス」
 最初から素直にそう言えと言わんばかりにスフェンの尻尾がパタパタ動いた。
 立ち上がったヴァリ自身は体格に相応しい質量があり、到底スフェンの口に収まりそうにない。改めて対峙する猛りを前に、彼は小さな口を開きながらまずは先端に唇をつけた。触れた瞬間、熱く脈打っているのが皮膚越しに伝わる。
 頭上でヴァリが息を飲むのを気配だけで感じながら、歯を立てないように注意してスフェンは熱を口に含んだ。
「ん……」
 スフェンの口元から耳にこびりつくような粘った水音が聞こえてくる。なるべく平静を保とうと必死だったが、ヴァリの内心は大荒れだった。
 熱く柔らかな口内は心地よく、鼻にかかった苦しそうな声が時折漏れ聞こえるのも快感を助長させる。
「はふ、ん」
 手淫と同じく技量は拙くお世辞にも上手いとは言えなかったが、一生懸命になって舌を絡める姿がいじらしくて、体の芯に宿る熱をさらに煽った。
 慣れない所作で頭を上下させているのが苦しそうだ。うっかり喉奥に当たってしまったらしく、スフェンのまなじりには薄っすらと涙が浮かんでいる。
(うわあ……スフィも興奮してる……)
 ヴァリ自身を咥えながら、獲物に飛びかかる前のように尻尾が揺らめいている。倒錯的な光景にひっそりと気分が高揚するのを感じたが、その反面他人のものなんて咥えたことがないだろうスフェンにそんなマネをさせてしまったことにまた罪悪感を抱いた。
 裏筋に舌を這わせながら、ちらりとこちらを見上げるスフェンと目が合う。無言の圧を感じてとりあえず肯くと、どうやら正解の反応だったようで淡藤色の目が満足げに細まった。
「ん、スフィ、そろそろ……」
「ふ、んぅ、はぁ……」
 達しそうなので離して欲しいとやんわり伝えたが、スフェンはヴァリ自身を離そうとしない。先端を吸い上げながら根元を手で扱かれ、ヴァリの腰に重たい痺れが走った。
「すふぃ、口離してっ」
「んむ、」
 すんでのところで引き抜いたので口内に放ってしまうのは避けたが、代わりに飛び散った白濁がやや放心しているスフェンの顔中に飛び散った。生え揃った睫毛に乗った粘液が、糸を引いてつぅっと頬に落ちていく。
「っっっっっっ!!!!!!!ごめん!!!!!」
 余韻もなくヴァリはスフェンの顔をタオルで拭った。なんと言おうか、見ていられない。粘り気を帯びた体液がタオルに付着しているのを見て、ヴァリは頭を抱えたくなった。
「お願いスフィ口閉じて!入っちゃうから!」
 前髪から垂れた精が口に入りそうだったところでヴァリの動揺は最高潮に達した。
「口ん中残ってない?うがいする?苦しくなかった?」
 スフェンの顔や首を念入りに確認し終えて、ようやくヴァリに冷静さが戻ってきた。普段の行いは棚に上げて、熱に浮かされていたとはいえとんでもないことをしたとよくない汗が額に流れる。
「スフィびっくりしたよね?ホントにごめん。…………スフィ?」
 スフェンの反応がないのを訝しんで問いかけるが、返事がない。代わりに細い声が彼の喉から聞こえる。それは興奮状態の猫が発する鳴き声に似ていた。
「す、」
 気付いたときにはベッドへと柔らかい力で押し倒され、視界いっぱいにスフェンの顔が広がっていた。殊更優しく口付けられ、"先ほどのように"舌を啜られる。口淫していたスフェンの口内は常にない味がしてヴァリは泣きたくなった。自身の味など、知りたくはなかった。
 スフェンは唇を離すと、傷の状態を確認しながら自身の着ていたブラウスをたくし上げてベッドへ放る。
「スフィまさか……」
 見上げた目が爛々と怪しく輝いている。どうやら完全に火をつけてしまったようだった。
「動くな。大人しくしてろ。俺に任せておけ……大丈夫、優しくしてやる」
抱かれる側の台詞とはまるで思えなかった。
「わ、ワァ……本当に?」
 ヴァリに跨ったスフェンは、これ見よがしに治癒術の準備をしてみせた。つまりは、傷口が開く都度治してやるから頑張れ、という意味である。怪我人なんだけどなあと小さな抵抗を試みたが、悪い事をしてしまった意識が残っているため、強く出れないヴァリだった。

 ヴァリの療養期間がほんの少しだけ予定よりも長くなったのは言うまでもない。