<SSR~after~>
スフェンが大学生活を終えた日の晩は、久しぶりに二人でゆっくりと食事を摂った。終始ニコニコと笑みを浮かべて夕飯を平らげたヴァリは、目の前にいるスフェンを眺めてはまた一段と眦を下げる。
「やっぱり嬉しいなあ。こうして家で過ごせるの」
それまで週末にスフェンが一時帰宅することはままあったが、翌日にはまたシャーレアンに戻らなくてはならないためどこか慌ただしい休暇だった。しかし今夜からはまたいつもの生活に戻る。それに対するヴァリの喜びようときたら、主人の帰りを待っていた犬のようで、それだけ寂しい思いをさせていたのだと改めてスフェンは感じた。
食後の茶を飲み終わると、空になった皿を重ねてスフェンが立ち上がる。
「皿片したら風呂入るぞ」
「俺片しとくよ。スフィが先に入って」
ヴァリはスフェンの手から食器を奪うと、シンクに運んで蛇口を捻る。だが、その代わりとばかりにグラスを持ってスフェンもその横に並んだ。
「二人でやった方が早く終わる」
広いキッチンは男が二人立ち並んでも窮屈さを感じさせない。ヴァリが汚れた皿を綺麗に洗い流してスフェンに渡すと、彼は布巾で水気を拭って乾燥台の上にかけていった。その左手薬指は空っぽで、ヴァリが渡したはずのリングはどこにもない。
「……あのさ、スフィ」
ヴァリが口を開きかけたとき、きゅっ、と蛇口の栓が絞められた。いつの間にか全ての食器を洗い終えていたようだ。
「風呂入るか」
「あ、うん……」
続く言葉を失ってしまったヴァリはどこかぎこちなく頷いた。タオルを用意するスフェンをただ眺めて、所在なげに視線をさ迷わせる。
すると、そんな彼を訝しんで白い耳がふるりとこちらを向いた。
「そんなとこ突っ立ってないで、早く行くぞ」
「え」
「なんだよ、一緒に風呂入りたいんじゃないのか?」
「い、いいの?入る!入ります!」
スフェンは何か勘違いしているようだったが、これはヴァリにとって棚から降神餅というやつだろう。あえてその勘違いを正すこともなく、慌ててスフェンの後を追い階下の浴室へ向かった。
*
凝視してはいけないと思いつつも、ヴァリはスフェンが尻尾のホックを外す様を横目で盗み見てしまった。相手の着替えなどすでに何度も見ているのだが、彼も健全な男子である以上、恋人の脱衣につい反応してしまったのである。それを誤魔化すように、いそいそと衣服を脱いだ。
チェーンを通した自分の指輪を洗面台に置いたとき、どうしても気になって先程聞けなかった問いをスフェンに投げた。
「……指輪どうしたの?」
「仕舞った」
「……つけないの?」
スフェンは水仕事をするときいちいち外すのも億劫だからと言うと、するりと肩からシャツを落とした。
「俺みたいに首から下げたら?」
スフェンが脱いでいった服を拾いながら再び問えば、いつも首回りに何かあると気になると言って、彼は顔を横に振ったのだった。
浴室の中に湯気が立ち上る。シャワーヘッドから流れる湯の熱気のおかげで、むき出しの体が徐々に温められていった。薄橙色の照明に照らされながら、白い肌がほんのりと色づいていく。
「ん、座れ。洗ってやる」
シャワーで体を軽く流すと、スフェンが椅子を指さした。ヴァリが素直に腰掛けると、スフェンはシャンプーのボトルを引き寄せて金色の髪を泡立たせていく。
「なんだか懐かしい……シャーレアンに向かう前日の夜が遠い昔のことみたいだね」
「そうだな……」
感慨深く思っているのか、スフェンはどこか考え込むように無心でヴァリの髪を洗っている。泡を流してから、香りの良いトリートメント剤を溶かした湯でさらに濯いでいく。
スフェンと暮らし始めてから、ヴァリの髪は随分と健康になった。染めた金髪は大した手入れもせずにいたせいで始め相当痛んでいたが、髪に触れる度スフェンの片眉が難色を示すように跳ね上がるものだから、恋人に良く思われたい一心で地道にケアをしたのだ。
「髪縛るものあるか?」
「あるよ、はい」
手首につけていた髪ゴムを渡すと、水気を切ってから一つに束ねられた。どうやら体も洗ってくれるらしく、首筋に垂れる毛先が邪魔だったらしい。
泡立てたタオルが背中を往復する摩擦が心地よい。項から筋肉に沿って流れる柔らかな感触に、ヴァリは安らいだ気持ちのまま目を閉じた。
「傷、結構残ったな」
スフェンはヴァリの広い背中に触れると、先の戦いで負った傷跡に手を合わせた。医療は続けたが、いくつかの引き攣れや赤い痣はまだ残っている。ヴァリの傷をスフェンはずっと気にしているようだった。自分の手で治しきれなかったと思っているのかもしれない。
暗い顔をしてほしくなかった。スフェンが気に病むことなど、何一つないのだから。
「平気だよ。ちょっとずつ薄く小さくなってる。そのうち消えるよ。ほら、オレ若いし」
明るい調子で言えば、背後のスフェンが小さく息を吐いた気がした。次いで泡が洗い流されると、タオルとは異なる感触が背中を伝っていく。
「っ……」
ヴァリの背骨に沿って、柔らかく温かなスフェンの唇が押し当てられる。それから傷の一つ一つを慰撫するように、唇と舌が這う感触がして、ヴァリは体を強張らせた。
「スフィっ……」
スフェンは背中からヴァリの耳に唇を移動させると、抵抗するなとでも言いたげに甘く食んだ。
「……そのまま」
耳元で低く囁く声が鼓膜を震わせる。その僅かな揺らぎが体の中を走って、内側からビリビリと痺れるような感覚がした。
後ろ側を擦っていたタオルとスフェンの掌が、首筋から体の前面に這ってくる。胸元、腹、太腿……確かに洗うような手つきではあったが、いつもは自分で清める部分にまで掌が下りてきたので、ヴァリは期待する胸を内心で押さえながら背後を窺った。
「スフィ、そこは……」
後ろから手を伸ばしていたスフェンはヴァリの横にしゃがむと、遮る相手を無視して石鹸でぬめった指先をヴァリ自身に絡めた。
「痛かったりしたら言えよ……」
スフェンの頬に灯った赤みは、決して浴室の熱気だけが原因ではないだろう。ヴァリの顔を見ないまま、彼の性器を緩やかに扱いていく。石鹸の滑りを借りてにゅるにゅると掌が行き来する刺激に、思わずヴァリは声を漏らした。
「んっ……」
全体を扱いてヴァリ自身が反応を示し始めた頃になって、今度は鈴口に指先が立てられる。スフェンもヴァリの感じる場所をよくよく知っているようで、滲み出る体液に指先を濡らしながら少し強めに追い立てていった。
「う、あ……」
「ヴァリ……」
ヴァリが快感に呻いていると、熱に瞳を潤ませたスフェンが顔を寄せてくる。強請るような表情ですぐにキスをしたいのだと分かった。
「は、スフィ……」
「ん、ん……」
手は止めぬまま、スフェンはヴァリの唇に吸い付いて口内に舌を差し入れる。今日はいつになく積極的だなと頭の片隅で考える暇もないまま、互いの吐息を貪るように口付けた。スフェンの背中に手を回して抱き寄せると、いっそう深く舌を絡める。鼻に抜ける声が浴室の壁に反響してヴァリの耳を満たした。
雁首の辺りを締め上げるように扱かれると声を漏らしそうになる。口付けながら器用に己を愛撫するスフェンに、ヴァリは誰がこんな事を教えたのだと頭を痛めた。しかし、そんな人物は自分しかいないと自嘲する。
固く芯を持って天井を向くヴァリ自身からだらだらと垂れる先走りが、スフェンの白い手に絡まって透明な糸を引いている。目に毒すぎて眩暈がしそうだった。
「掌が熱くて火傷しそうだ……」
スフェンは再びヴァリの耳元に唇を近づけると、ややぼうっとした声で呟いた。
「いつもより勃つの早くないか?」
「この状態で勃たないわけないって……」
スフェンが大学に通っている間は、その分触れ合う機会も少なかった。特に最終日を控えた一、二週間は忙しく、家に帰ることもほとんどなかったため、耐えかねたヴァリがナップルームに押し掛けたくらいだ。その時はスフェンも恋しさにベッドまで彼を上げたのだが、いかんせん疲れすぎていて抱き合ううちにうっかり眠ってしまった。翌日めそめそしながら腹のあたりにまとわりつき続けるヴァリを引き剥がすのには、それなりに苦労したものだ。
「ねえ、スフィ……ここ、もうちょっと強く……」
「こうか?」
「ん、いいよ……」
ヴァリに言われるがまま扱く指の圧を上げると、スフェンの耳に掠れた声が答えた。自分の与える刺激に感じている様を目にして、スフェンの濡れた尻尾が浴室のタイルの上で左右に動く。
「……あの時は悪かったな」
声量を落としたスフェンの呟きに、ヴァリは疑問符を浮かべた。
「う、……いつのこと?」
「卒業前にナップルームに訪ねてきただろ。俺が寝落ちした日」
「ああ……仕方ないよ。スフィ疲れてたんだから、っ、あ」
限界が近いのを察してか、スフェンの手淫は激しさを増していった。半身をぴったりとヴァリの体に密着させたまま、掌全体を使って追い立てていく。その手つきの卑猥さから目が離せないまま、ヴァリは内側に宿る熱が温度を上げていくのを感じていた。
その状態を知ってか知らずか、スフェンはヴァリの耳元で恥じ入るように囁く。
「……本当は、あの日は俺もお前としたかった……」
「……っ!」
その台詞を聞いたのと同時に、ヴァリはスフェンの手の中で果てた。掌に収まりきらなかった熱い飛沫が指の間から零れ、湯と溶け合いながら排水溝に吸い込まれていく。
ヴァリはやや長い絶頂を終えて息を整えると、傍らのスフェンを抱き締めて深く息を吐いた。
「そういうの反則だよ……」
「何もしていな、……いや、したはしたが……」
「……うん、そうだね……スフィは悪くない……」
何も分かっていなさそうなスフェンに、ヴァリはまた溜め息を吐いた。惚れた弱みといったところで、何をしても愛らしく思えて仕方がない。愛しい気持ちのまま触れ合ったしっとりと湿った素肌の感触を味わいながら、ヴァリは浴室の端に置いてあったもう一つの椅子を引き寄せた。少し後ろに下がったあと自分の前に椅子を置くと、そちらにスフェンを座らせる。ヴァリの胸に背をつけるように腰掛けたスフェンの体は、興奮しているのを教えるようにあちこちが血色の良い桃色に染まっていた。
「ん……」
ヴァリがスフェンにされたように泡をたっぷりつけたタオルで拭うと、敏感になっているのかそれだけでピクリと肩が小さく震えた。しなやかで柔軟性に優れた筋肉を纏った曲線に沿って指先を滑らせると、くすぐったいのかスフェンはヴァリの胸の中で身を捩る。
次いでスフェンの色づいた胸の突起に指をかけると、すぐさま怪訝な声がかけられた。
「男の胸なんか触って楽しいのか……」
「オレは楽しいかな。だってスフィの体なんだもん」
理解しかねるといった表情で見上げてくる相手に笑って見せると、刺激によって起立してきた先端を指先で軽く捏ねた。すると、細い悲鳴をスフェンが漏らした。
「んっ、いっ」
「痛い?気持ち良くない?」
「……………痛くは、ない」
言葉を濁すスフェンの様子からして、少しずつ快感を拾っていることが窺えた。夜の営みに際して嫌がられない限り触れるようにしていたおかげか、敏感になりつつあるようだ。
「スフィ、脚ちょっと開いて……」
すでに反応を示し始めていた下肢にも片手を這わせると、スフェンの体がまた震えた。
「う、あっ……」
上半身と下半身の両方を責められ、スフェンは熱い吐息とともに嬌声を上げる。反射的に逃れるよう腰が浅く浮いたが、ヴァリの両腕が回っているため、すぐさま椅子に戻された。スフェンの両手は自身を囲うように座るヴァリの膝に置かれ、羞恥に耐えようとしているのか掌を握ったり閉じたりしている。
「いあっ、両方、そんなっ……」
「気持ちいい?教えてスフィ……」
扱く速度を徐々に上げながらへたり始めた耳に吹き込むと、スフェンは背中をビクビクと大袈裟に震わせた。
「言わっ、あっ、言うかっんっ」
「これとか気持ち良くない?」
「っ……!」
熟れた赤色に変わってきた胸の尖りを軽く引っ張るように抓りながら、もう一方の片手で猛りの先端を指の腹で円を描くように刺激した。過ぎた快楽とそれに溺れる恥ずかしさから、スフェンは咄嗟に開いた脚を閉じようとする。
「もうちょっとだけ開いててね」
脚に挟まれそうになった手で太腿の内側を軽くくすぐると、それさえも快感に変換したのか、濡れた喘ぎ声が耳に届いた。
「んっ、ヴァリっ」
絶頂を前にして、スフェンが涙を溜めた瞳で見上げてくる。それに応えてヴァリが首を屈ませて唇を差し出すと、啄むように口付けを交わした。
「可愛い……スフィ……」
「んっ、あっ、ひっ……~~~っ」
手は止めぬまま舌を絡める。そしてひと際大きくスフェンの体が跳ねると、ヴァリの手の中に熱い白濁が吐き出された。残りを絞り出すように軽く扱くと、どろりと粘度の高い体液がぼたぼたとヴァリの掌を汚していく。
(ちょっと濃い……?忙しくてスフィも溜まってたのかな)
もともと一人遊びもしなさそうな彼のことだからご無沙汰なのかと思っていると、当のスフェンがくたりとヴァリの胸にもたれかかってきた。久しぶりの情事は長くなりそうだと考えながらスフェンを抱き締める。
すると、腕の中の体が吐精の倦怠感というにはぐったりとし過ぎていることに気が付いた。顔色も血色が良いというよりも、発熱したように真っ赤だった。
「スフィ!?大丈夫!?」
「き、気持ち悪い……」
ヴァリは素早くスフェンの体を拭って薄い寝間着に着替えさせると、壊れ物を扱うような丁寧さでベッドへ火照った体を横たえさせた。ふうふうと浅く早い呼吸を繰り返す相手を前に、ヴァリはおろおろとしながらも氷水や水で濡らしたタオルを用意する。首を支えてやりながら水を飲ませると、スフェンも少し落ち着いたようだった。
「ぐす、スフィ……」
「ただの湯あたりだ。横になって体を冷やせばすぐ良くなる……う、……」
そう言いながらもスフェンは眉間にしわを寄せて、波のように襲い来る不快感に耐えているようだった。
「ごめんねスフィ、オレがもっと早く気が付いてれば……」
「始めたのは俺だからな、自業自得だ」
それでもヴァリは、ベッドサイドでしょげた大型犬のように俯いている。ないはずの垂れた耳が見えた気がして、スフェンは未だ濡れている金色の頭を撫ぜた。
安静にさせようと急いで駆けまわっていたせいで、ヴァリ自身は自分の身支度は後回しだったようだ。下だけとりあえず服を身に着けているが、むき出しの肩は湯冷めしてしまっている。
「本当はもっと甘やかしてやるはずだったのに……」
消えるようなスフェンの小さな呟きはヴァリの耳には届かなったようだ。何か言ったかと首を傾げる彼に、スフェンは何でもないと答えた。
「欲しいものある?もっとお水飲む?」
「大丈夫だ。水差しだけ置いといてくれ。しばらく動けそうにない……」
鉛のように体が重たい。スフェンがそう呟くと、アイスボックスを置いた側からベッドに乗り上げたヴァリが、白い前髪を払って額に手を乗せる。ぬるい体温が心地良いと思いながら、スフェンは微睡の中に片足を踏み出した。
半開きの視界の中、ヴァリの首から下げられた銀色の指輪が、寝室のか細い照明の中できらりと光る。
「……なあ」
「ん?」
「俺の私物が入った引き出しに、木箱が入ってるから、それ持ってきてくれないか……」
「分かった、すぐ持ってくるね」
薬の類でも入っているのかと思って指示された引き出しを開けると、美しい草花模様が彫られた木箱がすぐ目につく場所に仕舞ってあった。ところどころ細かい傷がついており、木の質感からしても中々に古い品のようだ。
「これかな?」
ヴァリがベッドへ戻って見せると、スフェンは弱弱しく頷いた。
「開けてみろ」
言われた通り蓋を開けると、中には統一感のない小物がいくつか収められている。花のしおり、何かの牙、どこかの鍵、古い耳飾り、色鮮やかな鳥の羽、小さな原石が埋め込まれた石。どれもどこか歳月を感じさせるものばかりで、一見するとガラクタの寄せ集めのようだった。
「その箱は母さんが若い時から使っていたものを、子供の時に貰ったんだ。自分のものを入れなさいって」
どこか懐かしむような声だった。この一つ一つに、スフェンの思い出があるのだろう。彼は徐に手を伸ばし、一つだけ真新しい、絹の小袋を取り出すと、口を縛っていた紐を緩めて中の物を取り出した。
「あ……」
ころりと出てきた銀色の輪に、ヴァリが思わずといった調子で反応した。
「帰ってきてからずっと気にしてただろ」
どうやらヴァリがスフェンの薬指を気にしていたのは、最初からバレていたようだ。取り出したそれを自身の指に嵌めて、スフェンはその手を光に翳した。
「持ち歩かないから、ここに入れておく。覚えておけ」
ぱたりと手首を下ろして、覚束ない口調でスフェンは呟くと、彼はいよいよ瞼を閉じた。
「…………俺は大切なものは失くさないように、仕舞っておきたい派なんだよ」
スフェンが意識を手放す瞬間にまろび出た胸の内を聞いて、ヴァリは恭しくその手を取ると、温もりの宿った指輪に頬を寄せた。